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記録せんと忘れるもの、特に自分のことは。

68キロ台の体重が63キロ台まで戻ってきた。
6ヶ月の間に起こった出来事だ。
5キロもの重みを取り去る。
これは33才ともなれば、大仕事である。
当時の体重を記録してなければ、今頃は「まだ63キロもある」と確実にメンタルをバキバキにへし折っていただろう、他でもない自分自身で。
55キロだった時も同じように悩んでいた。

あたりまえのことは記録しない。あたりまえである。
「太っている」というマイナスメンタルの権化をどうして記録したい?
それでも記録しなければならなかった。1年後の自分のために。

「ひとりでやれはしない」と管理栄養士を頼ったのは正解だった。
プロの頭を借りれば、情報の海で迷わなくていい。

ただし。
ただし、だ。
ここがダイエット最大のネックだ。
やるのは「自分」だ。
どうしょもない自分を作ってきた「悪習慣の塊」。
つまり、このもっさりした何某かの行動を記録するのが「私」の役割だ。
「改革の鬼」が帳面を付けるのである。
管理職なので休みはないが、トラッカーやLINEなどの七不思議道具の使用は許可されている。
さて、日々の役割分担はできた。
あとは各々が手探りにやるだけだ。
やり続けるだけだ。

そうしていれば、
理想に燃える「こいつ」が四半期に1回やってくる。
「痩せたい気持ち」だ。あるいは「美しくなりたい欲求」とも呼べる。
今の自分を見て、当然のように「もっと良くなりたい!」と叫ぶ。
こいつを黙らせるには、私が付けた記録が効果的だ。
「そうはおっしゃいますが、それなりに努力しておりまして……」ともみ手しながら、絶対的な自信を持って記録を突き出す。

こいつは、数字を見せておけば喧しい口を閉ざす。
「次はもっと劇的な変化を…」とか講釈を垂れながら過ぎ去って行く。
こいつの出没パターンはおおよそ分かっている。
花見の季節・夏の行楽シーズン・焼き芋が店頭に並んだあたり・冬のクリスマス〜正月にかけてだ。
そのタイミングで私から記録を突きつけてやれば怖くない。

だから、記録をしよう。
数値と写真で記録をしよう。

こいつが「どうして数字はいいのに、写真には変化がないんだ」といいだす。
その時の事は、その時に考えれば良い。
必要なプロの頭がまったく違うことなのだから。






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