「お手伝い」は当たり前じゃない

どうもこんにちは、霧に刃と書いて霧刃(きりは)と申します。

3日連続の投稿でございます。

今回も、書いている小説とは全く関係ない呟きを書いていこうと思います。

皆さんは子供の頃、家事の手伝いをしたことはありますか?

お皿洗いに洗濯畳み、食事の配膳にお掃除。

家事の手伝いといえど色々種類はあるでしょう。

自分も子供の頃は家事の手伝いをしていました

まず、自分が初めて自分からした家事の手伝いについて話させてください。


子供の頃、自分は鍵っ子でした。

訳あって幼稚園の頃から小学校低学年までの間、自分は母親と、母親の飼っているペットたちと暮らしていました。

母親は父親の代わりに働いていたため、小学生の頃は学校が終わった後はそのまま学童に向かって母親が迎えに来るまでそこに預けられていました。

ある日、母親が仕事の都合で帰るのが遅くなりました。

学童保育も子供を預けられる限界がありますので、自分はその日、母親の迎えを待たずに家に帰りました。

当然、家にまだ母親は帰ってきていません。

話は変わるのですが、丁度私はとあるDSゲームにハマっていました。

ゲームのタイトルは忘れてしまったのですが、所謂クッキング系のゲームです。

そこで私は、ご飯の炊き方をなんとなく知識として学びました。

母親のいない家で、私一人きり。

ご飯も炊かれていませんでした。

そこで私は、ゲームで学んだ手順に従ってご飯を炊いてみたのです。

必要な分のお米を入れて、水を入れてといで捨ててまた入れてすすいで…と、手順通りに進めました。

結果的に言いますと、初めての炊飯は成功で終わりました。

お粥になっておらず、生のままでない炊きたてホカホカのお米が出来ました。

その後母親が帰ってきたのでそれを伝えると、母親は驚きつつも褒めてくれたとなんとなく覚えています。

唯一悔やむ点は、使ったお米が無洗米だったという点。

別に水をいれるだけでもご飯は炊けました(苦笑)

しかしそれでも、親の家事の手伝いという実績はついたのです。

それ以降、私は母親の手伝いとしてご飯を炊くようになりました。

此処までなら、親子のほのぼのとした心の温まる話で終わったでしょう。

ところがどっこい、小説と違うので話は続きます。

小学校3,4年になると、毎日の生活に父親も参加しました。

何故父親が途中参加なのかは、また後日お話します。

この頃も私は家事手伝いをしていたのですが、次第にその家事手伝いは変な方向へと変わっていきます。

最初は母親が仕事で遅くなったときのご飯炊きと、飼っている犬の散歩と買い物程度しかなかったのに、どんどん数が増えてきたのです。

ご飯炊きと犬の散歩に加え、犬の餌とお皿洗い。

あとはトイレ掃除と風呂掃除と食器の配膳。

これを私は、毎日行っていたのです。

あとはたまに母親から頼まれた時のみ掃除機を使っての家の掃除や、洗濯物を選択した後の洗濯畳みなんかも行っていました。

もう、料理と家計簿関係以外は殆どやっていますね(笑)

勿論、これらのお手伝いは無償ではありません。

ちゃんと、行えば、一回百円のお小遣いを貰えました。

最早アルバイトです(笑)

此処までなら、まあ普通だったのかもしれません。

しかし問題は、その家事手伝いがいつの間にか義務化されていたことです。

元々は母親を想ってやったお手伝い。

それが、いつの間にか当たり前になっていたのです。

最初は感謝を述べられていたにも関わらず、年を重ねるごとに礼を言われなくなったのです。

まあ、そこは良いとしましょう。

しかし、私が家事手伝いを怠ると、父は私に怒鳴りながら説教をするようになったのです。

何故家事手伝いをサボっているのか、何故先に遊んでなんかいるのか。

そういう事を、大体二時間は怒鳴られ説教を喰らいました。

二時間にも渡るお説教なのですが、簡潔に父が言いたいことを纏めるならばこういうことでした。

「やるべきことはちゃんとやれ。」

コレ一つでした。

……いや、可笑しくないでしょうか?

学校の宿題をサボったとかならまだ納得が行きます。

しかし、私がやらかしたのはあくまで「家事手伝い」をサボったこと。

そう、親の仕事のお手伝いをしなかった事についてなのです。

「いや、親の手伝いはやらなきゃいけないことだろう」って?

しかし、良く考えてください。

私は親からお小遣いが貰えるから、親を想ってしたほうが良いから、とお手伝いをしていました。

しかし、お手伝いは、別に子供の義務でもなんでもないのです。

当たり前でも、やるべきことでも、なんでもないのです。

言うなれば、ただの身内に対するボランティア活動のようなもの。

やったほうが親から感謝されるというだけであって、別に絶対の仕事でもなんでもないのです。

実際、自分の周囲には家事手伝いなんて一切していない子だっていました。

しかし彼らが毎日家事をしないことで怒られているなんてこと、私は耳にしません。

それはつまり、「手伝い」は決して当たり前のことじゃないんです。

しかし、父親の頭の中では「子供が手伝いをするのは絶対やるべき義務なのだ」と認識されていました。

では、父親は子供の頃毎日家事手伝いをする子供だったのでしょうか?

いいえ、違いました。

父親から直接聞いた話だと、確かに両親は厳しい人だったそうです。

しかし私は、あの人から毎日家事手伝いをしていたんだなんて話を聞いたことがありません。

更に言えば、私が家事手伝いをしている中、父親は何をしていたのか。

仕事が休みの日、父は家事手伝いなんて一切せず、リビングの真ん中でゲームをしていました。

自分の子供に「やるべきことはちゃんとしろ」と二時間にも渡って説教をしながら、父は家事手伝いなんてしていなかったのです。

「父親は仕事があるから家事手伝いはしなくていいんだ」?

いえいえ、何を言いますか。

それは私達子供だって同じことですよ。

子供は皆、学校という子供の仕事場に行って勉強という子供の仕事、つまりは義務をやっています。

それに加えて、母親の負担を減らすため、お小遣いを貰うためにさらなる労働をするのです。

子供の義務は、「勉強すること、遊ぶこと」と言うではありませんか。

誰か、子供の義務の中に家事手伝いを書き加えました?

そう考えると、子供も父親も、状況としては殆ど変わりないのです。

勿論仕事によっては親の方が大変なんだ!というのもあるかもしれません。

もしも父が昔二人暮らしの時の母のように、帰る時間が遅くなるまで仕事をしていたのだったら、私だってこんな事は思わなかったでしょう。

しかし父は違いました。

仕事は殆ど定時で終わらせ、家に帰ったら母親の家事手伝いをしている子供の前で堂々とテレビの前を陣取ってゲームやテレビを見ている。

週末に母の手伝いをするわけでもない。

むしろ自分の子供に、「パンケーキを焼いてくれ、ババロアを作ってくれ」と要求する。

一体、どっちの方が子供なんでしょうか?

こんな人が「やるべきことはちゃんとやれ!」とお説教をしても、有り難みも何もありません。

そもそも、家事手伝いに関して怒っても良いのは、家事を仕事としている母なのです。

同じ「遊んでばっかないでちょっとは家事の一つでも手伝いなさい!」でも、毎日家族の料理を用意して家を綺麗にしてくれている母親と、家ではテレビやゲーム三昧の父親とは、言葉の重みは全然違います。

子供の頃は父親の怒鳴り声が怖くてそんな疑問は浮かばなかったのですが、こうして成長してみると本当に可笑しいですよね。

こういった事は、自分の家庭内でもあることだと自分は考えます。

自分は参加していないにも関わらず周囲に「ボランティアに参加しなきゃ駄目でしょ!」なんて言う人。

自分は助けるつもりがないくせに、「この子が可哀想だと思わないの?」なんて言って助けることを他人に要求する人。

子供の面倒なんて一切見ていないくせに、「子供の面倒はちゃんとしろよ」なんて偉そうに言っている人。

挙げれば切りがないでしょう。

実際こんな事を書いている自分自身も、生活していく上でこういった点があるだろうと思っています。

こういうのは自然に出てしまうから、本当に自覚して振り返らないと気が付かない。

一度立ち止まって振り返って探そうにも、人は自分が仕出かした事に対してどうも甘く見過ごしがちになる。

更に言えば、横断歩道を渡っている途中で何度も何度も立ち止まって「あれ、自分はちゃんと横断歩道を正しく渡れているだろうか?」なんて考える人は殆どいないでしょうからね(笑)

これは持論ですが、本当に自分で出来ている人は誰かにああしろ、こうしろと怒鳴ることはしないと考えます。

せいぜい、「これやってくれない?」と頼んだり、「一緒にこれをやってみようよ!」と誘ったりするぐらいでしょう。

自分でも出来るから別に断られても良いと思っているけど、やられたら嬉しいなと思うからそんな態度を取る。

それに対し義務でないのにも関わらず、自分で出来ていない人があれしろ、これしろと言うのは、そうしないと自分がやらなきゃいけないから。

自分に回ってくるのが嫌だから人にやらせようと怒るのです。

勿論過去にしなかった事で自分が後悔していて、その子のため、人のために思って言っているというのもあるでしょうが、半分以上は上のような事が理由でしょう。

貴方は、誰かが奉仕してくれるのは、手伝ってくれるのは当たり前だと思ってはいませんか?

一度、自分は周囲に同じような事をやっているのか考えてみるのも、考え方を変えるいい機会かもしれません。

そんな、書いている小説とは全く関係のない呟きでした。

最後の最後に宣伝として私の小説のURLを置こうとおもいます。

気になった方は是非読んでください。

最後まで読んでくださった方に感謝を。

https://ncode.syosetu.com/n8117gr/

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