塀文化の違いについてー私の仮説ー
高い塀を持つ家と,低い塀を持つ家。
その差は何から発生しているの?
こんにちは!きりぎりすです。
お忙しい日々の貴重な時間をありがとうございます。
※Notiz※
本記事は必ずしも正解とは限らない
「私の仮説」発表会的な
「私の思考」暴露大会的な
そんなスタンスで読み流してほしいけど,
でもしっかり考えたからちゃんとも読んでほしいけど,
みたいに
ジレンマを抱えた内容となっております。
ご了承いただきたく存じまする。
※※※※
日本の今夏は猛暑だそうですね。
暑いし蒸すしで,
予定がなければ外に出ません
という方も多いと思います。
不思議ですけど,
何年も同じように春夏秋冬を繰り返したのに
夏の暑さと
冬の寒さを
忘れてしまうんです。
そんな私の最近の小さな疑問について。
ドイツの家々の間にある柵,
なんか薄っぺらいし低くない?
これって日本はどうだったっけ?
なんかドイツの塀よりは
もっと「塀」感があったような気がするなあ
なんで?
というのが,今日のテーマです。
そもそも差ってある?
早速余談ですけれど,
ドイツの庭は広い!!
日本のものとなんか違う!!
こんな感じではしゃぎあげていると
ドイツのおばあちゃんが
「そんなに珍しいかね」とニコニコしてくれました。
おばあちゃんは「普通だ」と言いましたが,
積み重ねてきた歴史によるのか
特有の文化によるのか
はたまたその両方か
私が今まで生きてきた中では
あまり見たことのない雰囲気だったのです。
というのも,
庭の境目が分からない場所があるのです!!
正確にはフェンスみたいなのが,
申し訳程度に設置されているのですが。
なんとなく日本の庭は
ちゃんとした塀で仕切られているイメージがあります。
『サザエさん』の中でも
フネさんがお隣さんと話すシーンでは
ほとんど首から上しか見えていない状態で
描写されていたような記憶です。
これはドイツに限った話ではなく
ドラマで映るアメリカの庭も同じような感じかと思います。
ディズニーチャンネルで時々映る家々には
塀という塀を感じられません。
なぜ塀を作るの?
なぜなんだと思いつつ,
google scholarを訪れて検索したり,
インターネットで探したりしたのですが,
信頼できるか分からないので
「私の仮説」として紹介させてほしいと思います。
(何回言うねん)
それは
プライバシー(個人の秘密)を守るため。
少し思い出したのが
平安時代の出会い方
「垣間見(かいまみ)」です。
これも
「しっかりとした塀(垣根)」があってこそ
成り立ちますよね。
ほとんど見えないおなごを隙間から見つめて
恋焦がれるから
気持ちは更にすくすくと育っていく。
もしも,
申し訳程度のフェンスの内で
おなごが暮らしていて
それを男性が見に来ていたら,
もしかしたらもしかすると,
ここまで日本人は増えていないかもしれない…
と思ったりなんだりしました。
余計なお世話ですけどね。
国家間におけるプライバシーの差って?
そうですよね。そこです。
塀がプライバシーを守るための道具なら,
国家間におけるその重要性に差があるということ?
という謎が新たに浮かんできました。
謎が謎を呼んでいますね。
その答えの可能性として挙げられるのが,
世界がコロナで埋め尽くされたときに
流行ったというか守らなければならなかった「あれ」です。
その差を証明するというか
数値化したというか…
そう!
ソーシャルディスタンス(ドラえもん調)
日本では2mと言われていましたが,
ドイツでは1.5mというように,
国によってその距離は違っていたのです!
それとプライバシーがどう結びつくかは
かなり強引ですが,
各国政府が他者の健康を守ることと
コミュニケーションを取ることの
最大公約数として
ソーシャルディスタンスを設定したと
仮定すると,
日本がドイツよりも0.5m長いことは
塀の程度を弱めていることと関係している
と言えるのではないかなと考えました。
ただこんな複雑なこと言ってんなよ!という感じですから,
今度は文学的な観点から。
竹取物語から考える塀
うちらの原点ともいえる
日本最古の物語である『竹取物語』。
かぐや姫として子どもたちにも浸透していますよね。
その内容をザックリと説明いたしますと,
秘密の多いかぐや姫を巡って
男たちが右往左往し,
結局誰もうまくいかなくて
月に帰ってしまう。
ザックリすぎて,
翁に怒られてしまうかもしれませんが,
ご了承願います。
当時の状況は古典で学んだだけだから
憶測と偏見とで判断していることになりますが,
そんな奥ゆかしさ代表の『竹取物語(かぐや姫)』が流行したことも
今では誰しもが内容を分かるくらい人気であるという点も
垣間見が現代にまで語り継がれるほどのマッチング方法だったことも
テリトリーの境界に
プライバシー保護を目的とする塀を設置したことの
説明になるのかもしれないと思ったのでございます。
まあそんなタイムトラベルは一旦置いておきましょう。
Am Ende
色々述べはしましたが,
最近の塀事情はかなりバリエーションに富んでいますから,
一概に地域差の意味づけをすることが難しくなっていると言えます。
多文化共生の時代ですもんね。
私自身,
ほとんど塀のない欧米スタイルな住宅街も
いくつか見たことがありますし,
また,
昔ながらの日本を象徴するかのような住宅街も
いくつか見たことがあります。
この記事を通して,
以上のような違いを見つけて疑問に思い
それを調べて書いていくうちに,
なんか建築したいかも。などと
ふざけた考えがメキメキ成長し始めてしまって
困っています。
というお話でした。
本当に住まいの形には様々あるなと
調べながらにもたくさん思いましたので,
これからも色々な家に目を光らせて
それをメモっていこうかな。
楽しみ。
さてさて!今日の素敵言葉!
衣食住の中でも
「住」に重きを置きたいと思った小学生の頃の幼い私が
この言葉だけを知ったら
おったまげるだろうなと思われますけど,
今はその頃よりも少しだけ大人だから分かります。
「塀」もまた住むための機械ですね。
それぞれの文化で
塀の持つ意味やその用途を考えられていて
面白いな~などと思った
夏の夜でした。
色々曖昧で本当に申し訳ない。
精進します!
最後まで読んでくださり,誠にありがとうございます。
では,またお会いしましょう!
Auf Wiedersehen!
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