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ねこペティREMIX#8「わらびぜんまい」 (エッセイ「かくれひとでなし」)


「わらびぜんまい」
(Bracken and Osmund shoot)

まちそだちだからな

やまのものなど
しらないが

にがみばしった
ものどうし

シンパシィなら
かんじるぜ


今回登場したねこ:ボス

年齢不詳(8~10歳?)オス。群れのリーダーではないが、そのふてぶてしい態度から誰もがそう呼ぶ街の顔。



かくれひとでなし

いつだったか。
子ども時分なのは確かだけれど、父に連れられ山菜採りに出かけたことがある。

どこかも分からぬ山の中、採るべきものの特徴と入ってもいいエリアを教えられ、僕は薄暗い森の中でシダを掻き分けわらびやぜんまいを探した。
狩りもの全般は好きだった。きっと宝探しに似てたからだろう。

ようやく見つけたゼンマイは、全身の産毛に木漏れ日を浴び、銀色に輝きながら垂直に立っていた。なにか触れてはいけない無垢なものに出会った心持ちがした。

と、昔の思い出をたぐり寄せたら、映像とそのとき感じた気持ちばかりで、5W1Hがぼろぼろこぼれたものが多い。
僕の記憶装置はどうやら時間が経てば経つほどに、自分が見たものと感じたことしか残らなくなってゆく、けっこうひとでなしな仕様らしい。
僕だってこんだけ生きてるんだから、もちろん人とそれなりに深く交わった記憶がないこたあないのだけれど、振り返って心が温かくなるような思い出がなんだか人より足りない気がして、残念感は常にある。

大人になってからだ。歳の近い二番目の兄と飲んで話をしてたとき、共通の思い出が話題に上がった。
展開はこう。隣家のえみこちゃんを人質役にヒーローごっこをしてたとき、兄が雑草に隠れていた土管の穴に足をつっこんだ。靴を落とした上、皮がむけるぐらいのひどい怪我をした兄。「そうそうあったなそんなこと」笑ったあとで兄は、その事件が小学何年生のときのことで、その場にはほかに近所の誰々ちゃんがいて、どうしてその遊びをしていたのか、そのあとどうしたのかまですらすら諳んじてみせた。
僕は驚愕した。なぜならそれに関する僕の記憶は、はじめに書いた文のほかには、緑の草の中ぽっかり空いた暗い穴、まわりを縁取る土管の色、手の届かない距離にある水の中に浮かんだ、片方だけの子供靴、あとはももいろの肉が見えた兄の足など、鮮明な映像しか存在してなかったのだ。目玉だけのいきものなのかおれ……?
動揺を隠し、話を合わせようと「そうそうあんとき落としたの、〇〇の(キャラクター名)靴だったよね」と答えたら、兄にものすごく変な顔をされた。
「お前、なんでそんなことまで覚えとるん? ちょっと、きもちわるい」


どうやら母の腹から出てくるとき、兄にはエピソード記憶装置ほかが手渡され、僕は残った映像記憶装置だけをもらってきたようだ。
それは冗談だとしても、記憶の癖はそのまま当人の持つ関心を示すのだろう。
人と人との関係性に興味があった兄は大学で社会学を学び、僕はといえばこうして自分の印象をもとにした絵や文を書きながら今も生きている。比べてしまえばどうしても、僕は人には関心がないし友だちだって多くない。やっぱりひとでなしっぽくて残念感は拭えないけど、いい年なんだしそれにも慣れた。

兄は僕の外部記憶装置だ。そう思えば兄弟がいてよかったと思う。
だから元気でいてほしい。


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