ディケンジング・ロンドン|TOUR DAY 1|ディケンズの書斎
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ディケンジング・ロンドン・ツアーへようこそ!
アドベントの到来と共に、ツアー初日を迎えました。2020年から時空を超えて、ディケンズの生きたヴィクトリア朝ロンドンへ到着。夕暮れ時、霧の中に家々の灯りがぼんやりと浮かび、書物の頁に綴られていた光景がいままさに眼前に広がっています。
ツアーDAY 1、最初に訪れるのは、1837〜39年にディケンズが暮らしたホルボーンの家——物語が生まれる「ディケンズの書斎」からツアースタートです。
そこには美術作家・内林武史さまのオブジェ作品《小説家の部屋》が飾られ、物語を生み出す小説家の思考に出会うことができます。扉を開けて、インスピレーションの煌めきのごとく灯りが明滅するディケンズの書斎を覗いてみましょう。
ツアーガイドはディケンズ研究者・熊谷めぐみ様。皆様をやさしくディケンズの世界へいざないます。ツアーごとMAPをご用意していますのでぜひご活用下さいませ。時間旅行代理店・霧とリボンが快適なご滞在をサポートします。
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内林武史|美術作家 →HP
都市/宇宙/記憶/時間などをテーマにオブジェ、立体作品を制作、展覧会などで発表しています。
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物語への情熱
幼少の頃、体があまり丈夫ではなかったディケンズが、夢中になったのが読書だった。父親が持っていた安価なリプリント版の本を幾度も読み返しては、主人公になった気分で胸を高鳴らせ、ひとり空想を膨らませた。自伝的小説『デイヴィッド・コパフィールド』の中で、主人公デイヴィッドが少年の頃に読んだ本として名を出している『ロビンソン・クルーソー』、『アラビアン・ナイト』、『ドン・キホーテ』、『精霊物語』、『トム・ジョーンズ』などの作品は、ディケンズ自身が幼少の頃に読みふけった本でもあった。
マジック・ランタン(幻灯機)としてのロンドン
ケント州チャタムでの穏やかな少年時代は、父親の仕事の都合でロンドンへ移住したことで一変した。一家の経済状況が苦しくなり、学校に行くこともできなかったディケンズを慰め、魅了したのは、ロンドンの街だった。一家が住んでいたのは当時まだ開発が進んでいなかったカムデン・タウンで、そこからコヴェント・ガーデンやストランドに連れて行ってもらうことを喜んだが、ディケンズの関心を何より強く引いたのは、セント・ジャイルズやセブン・ダイアルズといったスラム街であった。雑多で騒々しく、刺激的なロンドンの街とそこに生きる人々の暮らしぶりや人間模様は、少年ディケンズを魅了し、あらたな空想の拠り所となった。
大人になってからもディケンズはロンドンの街を歩き回った。作家ディケンズにとっては、ロンドンの街そのものがかけがえのないインスピレーションの源であった。1846年にスイスに滞在中だったディケンズが親友フォースターに書いた有名な手紙がある。その中でディケンズは、「来る日も来る日も、あのマジック・ランタン(ロンドン)なしに執筆する辛さと苦しさといったらはかりしれない!!」とロンドンの喧騒やにぎわいを恋しく思う気持ちを吐露しており、ディケンズがロンドンを「マジック・ランタン」(幻灯機)として捉え、いかに創作において多大なインスピレーションを受けていたかを明らかにしている。
超人気連載作家ディケンズ
ディケンズは小説作品の多くを月刊分冊という形式で発表した。これは、その名のとおり、月ごとに一分冊ずつ発行される出版形式で、当時長編小説は三巻本というスタイルでの出版がメジャーだったが、高価な単行本は庶民がなかなか手を出せるものではなく、貸本屋に頼らざるをえなかった。しかし、分冊ごとの販売は単行本よりずっと安価なため、多くの人が購入することができた。長編小説を月ごとに出版する形式は執筆の負担が大きく、誰もが成功したわけではなかった、むしろ多くの作家が音を上げたやり方だった。ディケンズも執筆に苦しんだが、それでも、ディケンズ以上にこの出版形式で成功した作家はいなかった。
当時、月刊分冊形式で出されたディケンズの長編小説は、現代の日本に置き換えると、国民的な超人気連載漫画のようなものである。人々は、最新話に一喜一憂し、次はどうなるのかと先の展開に気を揉みながら、続きを待ち焦がれた。それは敷居が高く一部の人しか手に入れることができない高価な本ではない。多少紙質は劣っていても、大衆が手に入れやすく、何より中身が抜群に面白い本である。人々の共通の話題にもなった。海外にもファンは多く、今のようにインターネットがない時代、日付が変わると同時に電子版を購入することなどは当然できなかったので、イギリスよりも最新作が手に届くのが遅かったアメリカの読者が、どれほど続きを待ち焦がれたのか、想像するのは難しくないだろう。
大衆がディケンズの作品に一喜一憂する一方で、ディケンズもまた大衆の反応に一喜一憂した。ディケンズは自分の芸術がわからないならいい、というような大衆を軽視した芸術家肌の人間ではなかった。そのことで後世の批評家からは酷評されることもあったが、ディケンズはいつでも読者を重視し、大衆が何を望み、どうしたらもっと多くの人が読んでくれるのかということに頭を悩ませていた。人気が落ちれば売り上げも落ちる。読者の評価が目に見えてわかった。ディケンズは読者に人気のキャラクターの活躍の場を増やすなど、臨機応変な対応をしながら苦心しながら執筆を続けた。これは並大抵の努力ではなかったが、大がつく仕事人間のディケンズはこれを成し遂げ、大衆はそんな作家の努力に応えるように、新作が出るたびに喜んで作品を受け入れた。
想像力の作家
娘のメイミーは書斎で執筆するディケンズの奇妙な行動を目撃している。ディケンズは突然椅子から立ち上がると、鏡に向かって執筆中の作品の登場人物を自ら演じては、机に戻って執筆を続けるということを繰り返したという。幼い頃から芝居が大好きで、役者を目指し、作家になってからも素人劇団を立ち上げて活動し、晩年は公開朗読に没頭したディケンズらしいエピソードである。これは比較的晩年の目撃談で、すべての小説の執筆がこのスタイルで行われたかはわからないが、ディケンズが登場人物一人一人に並々ならぬ情熱を注いでいたのは確かであり、作品の執筆を終える時には、自分の生み出したキャラクターたちと別れなければならないことをひどく悲しんだ。
ディケンズの生み出す物語は、現実のロンドンや社会を舞台にしていても、根底にあるのはその溢れんばかりの想像力である。幼い頃から物語を愛し、物語に助けられてきた小説家が生み出す作品は、空想と強く結びつき紡ぎ出された。それにもかわらず、いや、それだからこそ、ディケンズの想像力から解き放たれた物語の数々は、現実のヴィクトリア朝の人々を楽しませ、笑わせ、涙させる力を持っていた。多くの人に親しまれたディケンズの小説、それは孤独な部屋から生まれた、作家の想像力から解き放たれる物語の輝きである。
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作家名|内林武史
作品名|小説家の部屋
作品の題材|ディケンズ作品
木材・石膏・樹脂・電気部品・他
作品サイズ|高さ36cm/幅30cm/奥行6.5cm(高さは上部のスイッチ部含む)
制作年|2020年(新作)
上画像|灯りを付けた時の作品
上画像|灯りを消した時の作品
Text|KIRI to RIBBON
最初に訪れたホルボーンに位置する「ディケンズの書斎」で出会ったオブジェ作品《小説家の部屋》——夕暮れ時、散りばめられた書物たちは美しく温かな光に包まれ、物語がはじまる前の高揚を静かに湛えています。古い書物とインクの匂いが混じり合う書斎の中で、誇り高い知性を秘めて佇んでいました。
作者は、都市や宇宙をモチーフに、精緻な光の表現と精巧な造形力を駆使して記憶や時間などの抽象を紡ぐ美術作家・内林武史さま。ずっと憧れてきた内林さまの作品を、本展にて初めてご紹介することが叶い、本当に嬉しいです。
ディケンズ世界を巡るツアーのオープニングにふさわしい、物語がいままさに生まれる小説家の頭の中へ旅をする一作。冬の空気のように澄み渡った白は、まだ何色にも染まっていない小説家の思考。どんな冒険をしようとも、その都度帰ってくる場所として「小説家の部屋」は白に保たれています。
そして、ノーブルな思考の白がひとたびインスピレーションを得て明かりが灯れば、美しい光と複雑な影を持つ風景に早変わり。小説家の閃きと豊かな想像力は閉じられていた物語への扉を果敢に開き、私たちを新しい世界へと誘ってくれます。
ロンドンを「マジック・ランタン(幻灯機)」と呼んだディケンズ。その感性は、都市と光が交差する内林さまの作品世界と響き合っています。作品《小説家の部屋》には、時空を超えて共鳴する二人の芸術家の想像力の飛翔が留められているのです。
内林さまとディケンズが「光」の幻想で出会うディケンズの書斎——これから訪れる場所でどんな物語と出会えるのか、胸躍らせながら、日が沈むまで眺めていました。窓の外にはいっそう深く、霧が立ち込めてきました。
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★内林武史さまの他の作品★
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