おそろい浴衣

お稽古場の思い出~生活の近くに花柳流と和服がある光景~

私の母と祖母(母方)は花柳流の名取で、その中でも祖母はお弟子さんを取って日本舞踊教室を開いていました。

和服は「特別な衣服」ではない

小学生当時、父親と食卓を共にするのが嫌だった私は、平日の夕飯の殆どを祖父母の家で食べていました。祖父が会社経営をしていたこともあり、私の故郷の中でも大きい規模に入る邸宅で、「お稽古場」と呼ばれる大きな和室があります。普段は舞踊教室として使われていますが、年末年始になると親戚がそこに集まって、一緒に食事をする場でもあります。

祖母は、週に2~3回、踊りのお稽古をそこでしていて、当然、祖父母宅には毎週の如くお弟子さん達(という名のBBA軍団)がやってきました。

祖母が踊りの先生だったので、当然和服も腐るほどあり、既にこじらせていた私は大人の目を盗んで祖母の着物を着たり、お稽古場にある踊りの小道具を遊び道具にしたりしていました。
特に模造刀はいつ見てもテンションが上がります。これでひとりBLEACHごっこをしていました。

祖母の舞踊教室には、二大イベントみたいなモノがありました。
ひとつは、夏に行う「浴衣ざらい」と、もうひとつは、真冬にホテルの宴会場で行う「踊り納め」です。(※)
内容は、みんなでご飯を食べながら教室で習った踊りを披露する、というものです。
私も何回か参加したことがあるのですが、部外者感が半端なかったです。
あと、田舎特有だと思うのですが、浴衣ざらいの時に何故かみんな枝豆と赤飯を持ってくるのが不思議でしょうがありませんでした。
(※教室や流派によっては名前が違う場合があります)

私は和服を着ている祖母が一番好きでした。
料理をするとき、祖母は白い割烹着を着るんですが、お稽古前のご飯仕度の際、和服の上に割烹着を着た祖母は、日本のお母さんそのものの姿で、子供ながらにほわほわとした気持ちになりました。今振り返ると、その姿が一番綺麗だったと思います。

こういったこともあり、「自宅に着物はなくてもおばあちゃん家に行けば何かしらの着物はあるだろう」という認識で育ちました。
ただ、残念ながら振り袖まではなかったようで「ウチにはおばあちゃん家に腐るほど着物があるから振り袖の一枚や二枚はある」と思って、母に聞いてみたら「ない」と言われ、成人式はいとこのお下がりを、大学の卒業式はトータル5万円のセットコーデをレンタルしました。

日舞に付随するいろんな日本文化

祖母が日本舞踊をライフワークにしていたこともあり、従来の家庭よりも日本文化に触れる機会が多かったのかなぁと今思います。
というのも、大学のとある授業で「現代には日本固有の様々な文化が失われつつある」という話で、内容を聞いてみると、私が祖父母の家で体験したものが半分失われつつあるというものでした。
先生が「やったことある人手を挙げて」と言うと、私は当然手を挙げました。理由を尋ねられたので、家庭環境のことを話すと、それが貴重な経験だそうで、如何に一般家庭の生活が欧米化しているかが何となくわかった気がします。

別に生活の欧米化に関しては何とも思いませんが、生活の近くに花柳流と和服が常にあったからこそ、失われつつある日本文化に触れる機会があったのかもしれません。
週に1回、お稽古場に飾る生花をセッティングしに来る華道の先生(祖母の知り合い)に何回か生花を教えてもらったり、抹茶が好きだから我流で一人でお茶を点てたり…よくよく考えれば地域の教室に通わない限りできない事ですよね。
生花だけでなく、インテリアと化した茶釜も、日本人形も、お重も、お雛様も…おばあちゃん家の「お稽古場」は、非日常なことを体感できる、不思議な空間です。
もちろん、親戚の集まりにも使うので全部が非日常ではないのですが。

そんな祖母ですが、今は老人ホームで過ごしており、舞踊教室は母が師範代として細々とあのお稽古場でお弟子さんの指導にあたっています。

最後に言っておきます。
私は日舞の経験はありませんし、ましてや、花柳流の名取でもありません。
間違ってたら教えてもらえると嬉しいです。
(特に「浴衣ざらい」と「踊り納め」は記憶が名前レベルで曖昧なので、花柳流に関係のある方は教えて下さい)

2020.2.6 母から「浴衣ざらい」だよと指摘を受けたので修正しました。

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