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なぜ”環境保全”なのか~「14歳のための時間論」を読んで~

天界より愛を込めて。こんにちは。きらすけです。

この間佐治晴夫さんの「14歳のための時間論」を読みました。
僕はもうはるか昔に14歳を通り越した存在なのですが、面白い先生の話を聞いているような感覚で分かりやすく楽しんで読むことができました。

今回はそんな「14歳のための時間論」から考えた”環境保全”についての話です。


はじめにことわっておきますが、僕は全然環境保全の専門家でもなんでもありません。もちろん学校で習うぶんや、ニュースで見るぶんは知っていますが、それ以上の知識はない、いわば一般の代表的存在が僕です。

ここに書くことについてはできる限り正確な情報をもとにするように心がけますが、理解や情報が間違っていることもありえます。そんな間違いに気づいたときは優しく教えてくださると幸いです。


”環境保全”という言葉の不思議

それでは本題に入ります。

僕は高校で生物の授業をとっているのですが、そこで先生からあることを教わりました。

「外来種といっても、必ずしも悪い存在ばかりではない。もし外来種がその土地の生態系になじんでいるなら、それは単純に考えればむしろ生物多様性が強化されたことになる。
加えて、生物多様性にはある程度の破壊が必要だ。ニッチ(※生物学用語で、ある生物が利用する環境的範囲・資源のこと)が空かないと新しい進化は生まれない」

考えてみれば確かにその通りです。山火事で大きな木が倒れることで地面に埋まっていた別の木の種子が成長できる。恐竜が絶滅することで、哺乳類が繁栄できる。
ニホンオオカミがいなくなってシカが増えすぎても、自然の調整作用でシカはやがて(百年単位になるかもしれませんが)減り、キツネのような小型の食肉動物がニホンオオカミの空いたニッチに合わせて進化していくかもしれません。

さらに言えば、そもそも地球の環境とは変化するものです。
こちらは地学の授業で習ったことですが、地球は今までに3回全球凍結という地球全土が凍ってしまう現象に見舞われ、また何度か平均気温が60度という地球温暖化どころではない騒ぎになったこともあります。
隕石だって何度もぶつかっていますし、当時いた生物の90%以上が死に絶える絶滅も一度や二度ではありません。

でも、今の地球には生命があふれています。

生命を作る材料さえあれば、ぶっちゃけ生物は何とかしてしまうのです。

人はなぜ”保全”したがるか


ではなぜ、”環境保全””生態系保全”ということが騒がれ続けるのでしょうか。

いろんな要因はあるでしょうが、今回は「そもそもなぜ”保全”にこだわるのか」という心理的な要因について、「14歳のための時間論」にヒントをもらって考察してみようと思います。

「14歳のための時間論」のなかにこのような言葉があります。

「私たちの宇宙の中においては、全ての物体や存在は”ランダム”の方向をめざして動いている」ということです。
(中略)
生成消滅をくり返す自然界のできごと、とりわけ、人間の活動というものは、この「ランダム=デタラメ」に向かう動きに抵抗して、秩序を作ろうとする動きそのものであり、そこに、命の進化の姿がある、ともいえます。

「14歳のための時間論」109ページより、佐治晴夫・春秋社

この言葉をもとに考えてみます。

環境を保全しないと、当たり前ですが変化していきます。
ある地域の固有種であったものが人間の活動などによって世界中へ広がっていくのは、ある種のエントロピーの増大、「ランダムに向かう動き」であるともいえます。

しかし、人間にとって「ランダムに向かう」のはマズいのです。
これもまた、「14歳のための時間論」より、

そのビートの間隔が不規則になって、やがて、無限大になってしまうという状況―――それが、脈拍や呼吸の停止ということ。
そのことが、「死」だということになります。

「14歳のための時間論」111ページより、佐治晴夫・春秋社

生命が「秩序に向かう」ものだとするなら、生命にとって完全な「ランダム」になってしまうということは、この通りに「死ぬ」ということともとらえられます。

人間も生きている以上、本能で「死」を避けようとします。

つまり、人間がやたらと”環境保全””生態系保全”を唱えるのは、環境の変化に無意識に「ランダムへ向かう動き」、つまり死へ向かう動きを感じ取って避けたがっているから、とは考えられないでしょうか。

これからの世界と環境問題

それを踏まえて、僕は皆さんにもっと”環境保全”ということそのものについて考えてほしいと思います。

なぜ外来種がいけないのか。なぜ地球温暖化を止めるのか。生物多様性の何が重要なのか。
環境学・社会学はもちろん、哲学や物理学、歴史学など様々な視点から考えてほしいのです。
その結果がどのようなものであれ、むやみやたらにSDGsを唱えるより深いレベルで環境問題について論じることができるようになるのは間違いありません。(特に学生の人は現金な話、小論文だとか面接だとかで役に立つと思います)
いろいろ考えてみてください。とても楽しい経験になると思います。


僕自身は”環境保全”について良いとも悪いとも思いません。夏に暑すぎるのは嫌なので地球温暖化は止まってくれないかな、と思ってリサイクルや節電には協力しています。
生物や地学で学んだ一万年単位の地球の歴史を考えていると、シェイクスピアの「お気に召すまま」の有名なセリフのようだなと思います。

この世はすべて一つの舞台 男も女も、人はみな役者にすぎぬ

「お気に召すまま」ジェイクイズのセリフより、シェイクスピア

舞台にずっと立ち続ける役者はいません。人も、生物種も、星も、全ては舞台の上を通り過ぎていく役者に過ぎないのではないかという気がします。
今あるものが無くなっても、なんだかんだ言って多分次の何かはあります。そういうバカでかい視点から物事を考えてみるのも楽しいと思います。

まとまらない話でした。おそまつさまでした。

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