私に『私』の怒りが戻ってきた!~母とチャイルドのへその緒が切れたとき~
こどもは母親から生まれる。
これって、みんな知ってる本当に”当たり前”のことだけど、人の心の成長・発達を考えたとき、ここに大切なことが凝縮されてると、自分の心と向き合ってきて、すごくすごく実感している。
深いところで『生きづらさ』の原因にもなっていたりするのだと、今回の気づきで改めて感じた。
私、まだ、母親とへその緒がつながってた!?
先日、ちょっとした胸の痛みがあった。
さみしい、せつない感じ。
あー、これは、上のハートメッセージでも見た、「旅立ちの罪悪感」なのかもなぁと感じていたら、
急におっぱいのような甘いにおいに包まれて、母に抱っこされている私のインナーチャイルドを発見した。
あーーーー、私はまだ、ここにいたかったんだな。
お母さんにもっと甘えて、離れたくなかったんだな。
母と溶けていく感覚。
母子一体の、「私たち」の世界。
妹が生まれて、二歳の時、母から離され、私に精神的に母はいなくなった(・・・とチャイルドは感じていたみたい)
このときから、お母さんは私のお母さんではなく、みんなのお母さんになった。
そうだ、そうだ。
祖父母や父、妹たち、みんなのお世話をして、お母さんはみんなのお母さんであって、私のお母さんという感覚はなかったなぁ、たしかに。
だから、余計さみしくて、お母さんを助けて、お母さんを私のもとへ引き留めたかった。
お母さんが私のお母さんに戻ってほしかった。
どんなに望んでも、残念ながら、それは叶わなかったのだけど。
そうだよね、まだまだ、ゆみちゃんにとってはこのお母さんと一緒の時が必要だったんだよね。
・・・と同時に、「甘えちゃいけない」というアダルトチャイルドもいたことに気づく。
ずっと、大人たちからそんな風に甘えないように、早く大人になるように、育てられてきたもんね。
だいじょうぶだよ。このお母さんと溶け合う感覚をたっぷり味わっていいよ、と出逢った2歳のインナーチャイルドに伝えた。
それから、
・もうお母さんは助けなくていいこと
・お母さんはお母さんで、ゆみちゃんはゆみちゃんだよ
っていうことも伝えてみた。
そうしたら、ゆみちゃん、びっくりして、「お母さんは私で、お母さんの人生が私の人生なんじゃないの?」って。
ゆみちゃんはまだ、「私たち」の世界にいたんだ!!!!
私は、母とまだへその緒がつながった状態で、自分の人生を生きようとしてたんだ!!!!
いやーーーーーー、それは葛藤するし、苦しいよね。
まだ、無意識の深い場所では、母と私、ちがうって、認識できてなかったんだから。
いやいやいや。
びっくり!!!!!!!!
でも、気づけてよかった。
これで、本当に私は私の人生を生きれるのかも?
(まだまだ、いろんなインナーチャイルドは隠れているだろうけど、今回のチャイルドは、一人、解放できたみたい)
なんか、内側から「やった!!!!生まれた!!!!」という感覚もやってくる。
ゆみちゃん、おめでとう。
よかったね。
嬉しいね。
ゆみちゃんがゆみちゃんになるプロセスを見られて、ママも本当に嬉しいよ。
おめでとう、おめでとう。
ママは、これからも、ゆみちゃんのこと、ずっと応援してくからね。
体にも「よかったーーー」っていう安心感が広がってく。
「私たち」の場所を十分味わってそこから一歩出られたところから見ると、長年、無理に母から引き離された傷と自分が一体化してたんだな、と、自分がそれまでいた場所もよく見える。
不思議。
また、ひとつ大きな解放が起こった感じ。
そして、その翌日にも大きな気づきが・・・・。
主人への怒りが実は、父への怒りの投影だった・・・
翌日は休日だった。
私は、なぜか主人にイライラ。
主人の関わり方が、長女と長男とでちがう(・・・と私が感じた)ことが、どうやら私のイライラポイントらしい。
主人に対して「息子くんのことも、みてあげて!」
そんな風に叫びたくなる自分に気づく。
あれ?
何だか、私と長男、うちの父と主人を混同してる?
うちの父は、休みの日、育児や家事をすべて母にまかせ、自分は趣味を楽しんでいた。
自室で映画をみたり、本を読んだり、音楽きいたり。
こどもたちの面倒は見ず、こどもたちが騒いでると「うるさい!!!!」と叱られた。
こどものころ、そんな父の姿をみて、「お母さんがかわいそう!!!」って思って、ひそかに父を憎んだ。
主人へのイライラはそのときのものかな?って、じっくり感じてみたら、びっくり。
母がどうのこうのっていうのは後づけで、これは私の怒りなんだって感じた。
「お父さんにもっと関わってほしかった。
もっと遊んでほしかった。
なんで家にいるのに、自分の世界に閉じこもっちゃうの?
ねぇ、もっとかまってよ!
もっと、遊んでよ!!!!」
そんなインナーチャイルドの怒り。
そう言い放ったあとで、チャイルドは極度の恐怖に怯えている。
やばい!!!!言っちゃったっていう感じ。
あ、これを言うと、父の機嫌がとたんに悪くなり、こわくて、私は私の中にこの気持ちを押し込めたんだっけ。
不在の父による傷
ああ、そうだ。これは、不在の父による傷であり、それに対する怒りだ。
本当は私は、お父さんが大好きで、もっともっと、関わってほしかった。
それが叶わなくてとても悲しかった。
この気持ちをもしかしたから、長男にも重ねてたのかも。
この怒りは、好きだからこそ、わき出る自然なものとも感じる。
感じていいよ。
もう抑圧しなくていいんだよ。
お父さんと遊んでもらうの、ほんとに楽しかったもんね。
長男もそうだけど、私もまた、まだこんなに父を求めてたんだな。
小6のとき、友達関係で悩んでたとき、父に相談したら、話を聞いてくれて、受け止めてくれた。
あのとき、すごく嬉しかった。
一人の人として関わってくれてる感覚。
きっと、それは父の本質。
父も祖父が精神的に不在で育った。
だから、こどもにどう関わればいいかわからなかったのだろうし、「不在の父」を決め込むことで、祖父への忠誠を果たしてきたのかもしれない。
見捨てられた子。
父もまた、わたしと同じように、弟が生まれたら、祖父母の寝室へと移され、両親と引き離された過去をもつ。
それは、お互いにもつ傷であり、私と父をつなぐ絆にもなっていたんだな、とも改めて気づく。
もう、みなしごでいなくていいよ。
それは、過去のこと。
とても残念なことだったけど、それはゆみちゃんの価値と同じではない。
もう終わりにしていいんだよ。
お父さんから愛された記憶。
それをもっと、もっと感じていいよ。
「お母さんに悪いから」って
お父さんからの愛を否定しなくていいんだよ。
ゆみちゃんは、お父さんとお母さん、二人のこどもなんだから、
どちらかのためにどちらかを嫌いになる必要はないよ。
どちらも好きでいていいよ。
あーーー、そっか。
お父さんは私を愛してくれてたのかもしれない。
私がお母さんに愛されたいがために、自らお父さんの愛を受け入れない選択をしてたのかもしれないなぁ。
そこ、ようやく気づけた。
お母さんとへその緒が切れ、「私」という個になれたおかげで、見えてきた光景
それは、こんな光景。
私は何はともあれ、父のことが大好きだ。
父に遊んでもらえない、かまってもらえないと、さみしくて、怒りを感じる。
だって、お父さんのことが大好きなんだもん。
あーーーー、私はもうお母さんのために、怒らなくてもういいんだ。
私は、私のことで怒れるんだ。
なんか、すごく嬉しくて、涙が出てきた。
今回のことで、お父さんのことも、私はまだお母さんのエネルギーを通してみてたし、感じてたんだ(母子癒着・母子一体の世界にいた)ということも、なんかすごくよくわかった。
機能不全家族で育っていると、境界線がごちゃまぜだから、自分の感情か、誰か別の大人の感情か、こどもはなかなか理解できない。。。
地道にコツコツとその傷を認知し、ケアしていくことで、こうして少しずつ「境界線」ができてくるのだなぁ。
とにかく、自分の手元に自分の感情が戻ってきたことは、喜ばしい!!!!
よく、やったぞ 私♡
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