真のつながりは癒着ではない
私の実家は、3代続く 結城紬の織物工場を営んでいる。
こどもの頃から、家族みんなが協力しあって、「家の仕事」をしてきた。
今、振り返ると、こどもたちも仕事してたんだと思う。
大人たちから無意識で強要された仕事。
それは「静かにする」「仕事の邪魔しない」ということ。
私たち家族は、思えばいつも一緒だった。
仕事のときも、プライベートも。
それは、私にとって、本当に当たり前のことだったし、「いつも家族一緒にいられることは幸せなんだ」と思っていた。
だけど、先日、自分の育った家族の、大切な『真実』を目撃した。
「このつながりは、『癒着』であって、『真のつながり』ではなかった・・・」
私たち家族は、境界線がなく溶け合った状態。
個性をもっているようだけど、「健全な自我」としての個性ではなく、「役割」としての個性。
原家族は、共依存状態だったという事実がはっきり見えたとき、改めて、衝撃を受けた。
そして、「大人たちの過保護の中で、過呼吸になりそうなほど、苦しかった感覚」を思い出した。
だけど、幼い私は、ただただ、大人から与えられる”それ”を受け取るしかなかった。
ひとつの大きな塊のようにつながりあった原家族の姿がみえたとき、もう一つ、私の中によみがえった感覚がある。
「自分のことが自分でできない」という根深い恥の感覚。
私が長年隠して、「ないもの」としてきた影の部分。
原家族との癒着をまっすぐ見れるようになった今、ようやくその影に光を当てられた。
息子は、私の影の部分を引き受けて生きてきたのかもしれないと思った。
原家族は、みんな、祖父も、祖母も、父も、母も、妹たちも、無意識のうちに『自分のことが自分でできない』という恥をもっていたのではないかなと感じる。
いつまで経っても、お互いに自立できず、だけど、それを「よし」としている状態。
自分でできるように大人たちから教わっていないから「できないのが当たり前」なのに、大人たちは「なんで、できないの?」と小さな私のことを笑った。
笑われるのが恥ずかしくて、ますます私は「できない」ことを隠すようになり、家の外(=社会)にでるときは『鎧』を着るようになった。
家の外では、「できる自分」として取り繕わないといけなかったので、外にでるのがつらくなった。
外よりも家にいるようになり、原家族とのつながりもますます強くなった・・・。
だけど、「ここに居続けたら、このまま腐ってしまうよ」「ここを出る勇気が必要だよ」と自分の深いところからのメッセージを、受け取った。
私自身、子育てする中で、『自立』に対して、とても大きな壁のようなものを感じていたけれど、私自身がこんな風に『自立』できていない状態だったのだから、こどもたちに『自立』を促すなんてできるはずなかったんだな。
『自立』すること、そのものが本当はこわかったんだと思う。
原家族とのつながりが切れてしまいそうで。
だけど、今、小さな私に大人の私は伝える。
「ずっと、自分のことが自分でできないという恥を抱えたままいることで愛をもらえると勘違いしていたね。
だけど、それは”痛み”で、”愛”ではないんだよ。
安心して失敗しながら、自分のことができるようになれる安全な環境が、あなたにはなかったね。
それはとっても残念なことだけど、あなたのせいではないよ。
ママと一緒に、一歩ずつ、できなかったことをできるようにしていこうね。
できる喜びをいっぱい、いっぱい、まっすぐ受け取っていこう。
そして、恥の感覚から、一歩一歩、脱していこうね。
あなたが自立することは家族のみんなを裏切ることではないよ。
”みんな一緒”の状態は、健全な状態ではないんだよ。
苦しいと感じていいし、そこから離れていいんだよ。
一緒に、あなたが行きたいところに行ってみようね。」
これからは、『自分のことが自分でできない』と震える小さな私の存在を認め、寄り添い、育んでいこうと思う。
少しずつ、「自分で自分のことができるように」。
一歩、一歩。
☆☆☆
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