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自分の体に「怒り」を許す

私は体に留まるのが苦手。

気がつくと、ふっと魂がどこかに飛んでいってしまう。


それって、小さい頃、私の体にいることが安心・安全な場所ではなかったからだなぁ・・・。

体で「感じる」ことがつら過ぎて、耐えられなかった。

体に留まって、大人たちの感情ドラマに巻き込まれることは、幼い私には荷が重すぎた。。。

いつの間にか、自分を守るために、体から抜け出る技を覚えた。

体の感覚と自分の意識がチグハグでも、それが当たり前になり、違和感も麻痺していった。


だけど、インナーチャイルドワークを通して、少しずつ少しずつ、幼い頃、感じきれなかった感覚を取り戻し、体で感じられるようになってきた。

「喜び」「悲しみ」「恐怖」「怒り」という生き物にとって基本的な感情のうち、

私が最も感じにくいのは「怒り」

私は小さい頃、すごく怖がりだった。

私のなかには
得体の知れない「何か」に
いつも怯えているこどもがいた。

それが「怒り」だったんだと、今朝、気がついた。

たぶん、幼い私にとって、「怒り」を出すのはものすごく怖いことだった。

親たちから理不尽に「怒られる」ことで、たくさんたくさん傷ついてきたから。

そのうち、私の中の「怒り」も恐れるようになったんだと思う。

だって、「怒り」ってこわい。

怒られるのも、いや。

怒られると、すごくすごく痛いもの。

父親や祖母の姿をみて、幼い私は「怒り」は人を傷つける凶器だと感じてきたんだと思う。

「怒り」は、幼い私にとって、
得体の知れないこわいもの。

おばけや幽霊みたい。

明確な姿はわからなくて

でも、おどろおどろしく人々を恐怖に陥れる。




だから、私は無意識で自分の「怒り」を隠した。

母みたいに。

おともだちに嫌なことをされても、「いや」と言えず、代わりに笑った。

「怒り」を抑え込んで、ないものにしようとしてきた。

そんな凶器が自分にもあるなんて、考えたくもなかった。


子どもが生まれて、私もママになって、”理想の子育て”をしようと張り切っていたのに、うまくいかなかった。

子どもたちの自我が芽生え始めると、私の、抑え込んだ「怒り」がときどき爆発するようになり、私自身も自分のその荒れ様に戸惑った。

私が必死で隠していた「怒り」を嫌でも感じさせる、こどもたち。

自分の感情の責任は自分にあるはずなのに、こどもたちに自分の「怒り」の責任を押しつけたかった。

そして、抑圧した「怒り」をこどもたちに爆発させては、罪悪感に陥るというパターンを繰り返した。

セラピーを受けるようになって初めて、このパターンは、幼い頃の心の傷によるもので、『治療』が必要だったんだということを理解した。


今でも「怒り」を取り戻すことは、私のテーマ。

だけど、今朝、それに大きく前進できるような『癒し』が起こった。


私の場合、朝、目を覚まし、ぼんやりとふとんの中にいるときにインナーチャイルドの感覚が出てきやすい。

今朝もそう。

何だか、体が痛くて、気持ち悪い。

居心地悪くて、幼い頃、体の中から抜け出たくなった感覚と似てる。

それから、よ~く感じると、体がこわばり、ブルブルと震える感覚。

体の気持ち悪い感覚と、ブルブル震える感覚。

私は何を怯えているのだろう???

「感じるままを感じていいよ」

「何を感じても、ママが見守ってるから、安心していいからね」

内なるチャイルドに声をかけ、体の中の繊細な動きの変化を感じてみる。


『こんなの、やだ!!!!!!』

『ぜっっったい、やだ!!!!!!!』

『私は、私が行きたいところに行きたい!!!!』

そんな風に、叫びたくなるチャイルド。


すぐ下の妹が生まれてから、母とは寝室を分けられていたこども時代。

そうだ、私は、本当は、お母さんの部屋に行きたかった。

お母さんとお父さんと一緒に寝たかった。

それを禁じられたことをチャイルドはずっと怒りたかったんだ。


「怒り」の感情が湧いてきたら、すぐに、気持ち悪さもついてくる。

なんだろう???

しばらく、気持ち悪さも味わっていると・・・・


「あ、そっか。私は自分の怒りを認めるのがこわいんだ」

と気がついた。

こわばる体は、怒りを出すことへの恐怖を訴えてた。


それが理解できたとたん、こわばった体にふわっと空気が入り、ゆるんでいく。

涙とともに、安心感が広がる感覚。

そっか~~~~。私は私の「怒り」を恐れてたんだ。


自分の意識と体の感覚が一致した瞬間。

体はふわっとゆるんでいく。

呼吸も深くなる。

それが『癒し』の合図だということをセラピーを重ねて、実感できるようになった。

気持ち悪かったのは、自分の意識と体の感覚がチグハグだったからなんだ。

自分の中にある「怒り」をそのまま感じるのは耐えきれず、気持ち悪かった。

その正体(怒り)は心の奥の奥に隠して

ただ、何かに怯える「恐怖」の感情は
いつも、強烈に感じた。

私は、今、ようやく自分自身の「うそ」に惑わされず、自分の『真実』を見る。


チャイルドにママとして声をかける。

「ゆみちゃん、たくさん怒られて痛い思いをしてきたから、こんなに体がふるえるほど、怒ることがすごくすごく怖かったんだね。

ママ、気がつかなくて、ごめんね。

怒ることは、人を傷つけることじゃないよ。

本当の『怒り』は、ゆみちゃんの命と尊厳を守るものなんだよ。

だから、怒ってもいいんだよ。

『怒り』を隠さなくてもいいんだよ。

いやなことはいやって言っていいんだよ。

もう、ゆみちゃんの中の『怒り』を恐れなくていいよ。

ゆみちゃんの体にも、怒ることを許してあげてね。

ママ、ゆみちゃんが安全に「怒り」を感じられるように見守ってるから、だいじょうぶ。

一人じゃないよ。

一緒に「怒り」の安全な扱い方、学んでいこうね。」

体もさらにゆるんで、おなかの真ん中あたりにチカラがみなぎってくる感じ。

チャイルドも安心してるみたい。

「怒り」を感じてもいい。

体にも響かせる。


体の感覚、よみがえってきてよかった。

まだまだ絶賛プロセス中だけど、これで、また、体に留まれる時間が増えそう。

今日の気づきは、今朝やってきた新鮮ほやほや♡

なんか、この温もりがあるまま、noteで伝えたくて、熟成させず、発信してみた。

必要な誰かに届きますように☆






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