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「今ここ」に留まるのが苦手

最近、改めて気づいたのは、私は、「今ここ」に留まることが少ないなぁということ。

何か想定外のことが起こっても対応できるように「先の先」を見通して、「今」に詰め込んだり、

そうかと思えば、過去のことに気をとられていたり・・・・。

これって、”サバイバーあるある”なのかなぁ。


4歳の次女にこの間、こんなことを言われてハッとした。

「ママ、なんで、そんなに急いでいるの?」


たしかに(笑)

幼稚園の送迎前に、洗濯物を干し終わりたいとか、

できれば、夕飯の仕込みも終わらせてしまいたいとかで、忙しくして

気がつけば、いつも私自身の朝ご飯は、かきこんで味わう余裕がない・・・。


洗濯物を送迎後に回せば、ゆっくりと食事がとれるのに、その選択肢が吹っ飛んでしまう。

気がつくと、「とにかく、家事を回す」ということを最優先している。

もともと、家事があまり得意ではない私。

「家事が回らなくなる」ことの恐怖・不安もあるのだなぁ。


こうして、このnote記事を書いていても、私、「自分を心地よくする」というのが、本当に苦手なんだなぁ~~~とつくづく感じる。

「心地よくするために」先の先を見通して、いろいろとやっているはずが、いつになっても、全然、心地よさはやってこない (( ノД`)シクシク…

「これが終わったら」「これが終わったら・・・・」って結局、自分を心地よくすることを後回しにしてるんだよね~~~~。

いざ、そういう自分を満たせる時間ができたら、他の「何か」を詰め込みたくなる。

「自分を満たす」というのに、とことん、慣れていないんだなぁ。。。


「今」にくつろぐ

だけど、今日、何だか「今」にくつろぐということのヒントをもらったような気がする。

次女を幼稚園に送っていった後、末っ子がクッキーを海で食べたいと言うので、海へ。

私はちょっとコンビニに行って、自分のためにコーヒーを買った。

目の前には透き通った海と川。



見上げると、どこまでも青い空。

末っ子と、海岸に腰かけ、ゆっくりとコーヒーを飲んでいると、内側から幸せな気持ちがあふれたきた。

先の予定のことも考えず、ただただ、この心地よさにただよう感覚。

その後は、末っ子と砂遊び。

砂のサラサラ感を、味わってみる。

ひんやり冷たくて、気持ちいい。

何だか、これでいいんだぁ・・・って、すごく満たされた感じ。

特別なことを何もしていないのに、不思議・・・。


「今」にくつろぐ=ありのままの自分を受け入れる!?

私はどうして「今」にくつろぐのが苦手なんだろうってよく観てみたら、

「無防備な自分でいることがこわいから」って感覚がやってきた。


あぁ~~~~。

たしかに、いつも、「何が起こるかわからない」という状況の中で育ったから、そのときにできるせいいっぱいの『備え』をしておく必要があったんだよね。

今は、安全な場所にいるはずなのに、安心できない。

チャイルドはいまだに生き抜くために、備えなきゃいけないと思い込んでる。

チャイルドはまだ過去に生きてたんだ。


ほほぅ~~~~。

問題なのは、それが私の中で「自動反応」として起こっていたこと。

「先の先」の備えをすることは、別に悪いことではない。


意識することで、

・他にも選択肢があること

・どの選択をしても間違いはないこと

・「心地よくいる」ためにはどの選択をするといいか

ってみえてくるよね


そして、「心地いい」選択を「快く」するためには、内なるチャイルドが「無防備でも傷つけられることはないんだ」と安心していられることが大切なんだって感じる。

まだまだ、その選択をするには、内なるチャイルドにはこわいし、勇気が必要。

だけど、私自身、チャイルドが安心できるような器を育んで、この「今」にくつろぐ感覚を少しずつ、体に刻んでいけたらいいな。



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