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私が今、できること

この週末は、所属する心理学会のオンライン大会に参加した。

コロナの影響で、オンラインは初めての試み。

いつもは、小さい子がいるのでなかなか参加できないけれど、好きなときに観れるこの形式は、子育て中の身にはとってもありがたかった。

臨床現場で真摯に働かれている方たちの言葉は、私を原点に戻してくれた。

このnoteでも書いたけど、ずっと、私の中には自分が「臨床心理士」ということへの引け目があった。

臨床現場の経験が浅いからだ。


だけど、大会でさまざまな臨床家の皆さまの熱意ある話に触れて、「私も臨床家の端くれなんだ・・・」と感じた。

「臨床家」という言葉。

クライエントの心に寄り添い、自分の心と向き合いながら、『心理学』という専門性を活かしていくということ。

クライエントが言葉にできない想いを感じ取り、言葉にして紡いでいくこと。

そんな臨床家の在り方に、心理学を学び始めたころ「私もこんな風になりたい」と胸が熱くなった感覚を思い出した。

今、臨床現場に出ていないからと、臨床心理士としての自分に自信がもてずにいたけれど、私はずっと「臨床家」であったんだなと気づいた。

外にこそ、出ていないけれど、私は、ずっと自分と向き合い、こどもたちと、そして家族と向き合ってきた。

その経験も、「現場で働いてないから」という理由で、ぜんぶないことにしてきたんだなぁって。

大会のある方の講演の中で「臨床家はシェルパみたいだ」と話していた。

「シェルパ」とは、ヒマラヤの道案内人だそう。

たしかに・・・・。

登山者の荷物を背負うことはできないけれど、道を示すことはできる。

険しいヒマラヤを案内するには、その山を熟知し、自分自身も山に登り、登山者をサポートできる体力とスキル、知識など、いろいろと身につけていなければならない。

シェルパ(臨床家)は、自分自身も山に登りながら、そこで得た経験を登山者(クライエント)たちに生かせるよう活用していく。

この講演をきいて、臨床家・セラピストの個人的な経験を支援に生かすという意義を改めて、感じさせてもらった。

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では、今、私ができることは何だろう?


こうして、自分の心に起こっていることに真摯に向き合い、それを『心理学的な知識』と結びつけて、みんなにもわかりやすい言葉に紡いでいくこと・・・なのだと思う。

私の個人的な経験・プロセスが、底では「集合的無意識」とつながっていて、これを読まれている皆さまの”こころ”ともつながっていると思うから。

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そして、出逢っていただいた皆さまとも、皆さまのプロセスの伴走者として、道先案内人として、心に寄り添っていきたい。

私のnote記事を読むときは、ご自分の"こころ”と”フェルトセンス(体感)”を感じながら読んでもらえたら、嬉しい。

私の個人的なプロセスが、あなたのハートの扉をノックして、あなた個人の気づきにもつながるきっかけになるかもしれないから。

そのために、私は私のハートを正直にここに紡いでいこうと改めて、決意した。


私自身も、個人的な経験から、普遍的なものへと

または、普遍的な知識から、個人的な経験へと深めていきたい。

そのうち、どこか臨床現場でもまた、働いてみたいな。


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