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11月9日は119番の日&大政奉還が行われた日&ベルリンの壁崩壊の日&タピオカの日

【119番の日】

消防や救急を呼び出す電話番号が119番なことから、
119を11月9日と見立てて当時の自治省(現総務省)が記念日に制定しました。

防火、防災の意識を高めてもらうことが目的とされていて、
例年11月9日からの1週間は秋の全国火災予防運動期間として、
火災予防に関する取り組みや各種呼びかけ運動などが行われています。


【大政奉還が行われた日】

1867年11月9日、江戸幕府第15代将軍徳川慶喜が、
明治天皇に政権返上の旨を奏上した大政奉還が、
京都の二条城でなされました。

旧暦:慶応3年10月14日。
大政奉還によって、周囲の望み通り、
徳川幕府が政権を朝廷に返還したことで諸問題も解決、とはならず、
結果的にさらなる煮え湯を飲まされることとなった岩倉具視や薩長は、
さらなる対抗措置を講じるなど、争いは水面下で続きながら、
時代は激動の明治期へと移行していくこととなりました。


【ベルリンの壁崩壊の日】

1989(平成元)年11月9日、
ドイツの西ベルリンを囲んでいた通称ベルリンの壁が取り壊されました。

《超簡易的背景と経緯》
第二次世界大戦の敗戦により、ドイツは大きく分けて、
西ドイツ:アメリカ、イギリスなどの連合国と、
東ドイツ:ソ連に分断され、各戦勝国が支援する状況でした。

が、東ドイツに位置していたベルリンは、
ベルリン地域だけさらに東西に分かれて統治されていました。

そんな状況下で、ドイツ全体の内政も苦しい中、
東ドイツはさらに経済環境等が悪化していき、
東ドイツで唯一連合国領だった西ベルリンへ移住する者が後を絶たない事態に。

移住を防ぐため西ベルリンを取り囲むように作られた壁が、
後にベルリンの壁と呼ばれました。

壁ができた後も、東ドイツ情勢のさらなる悪化が原因となり、
再びドイツを1つに統一することで東西両ドイツが合意に至りました。

この合意がニュースとなり公表されたことで、
1989(平成元)年11月9日、
一般市民によって西ベルリンを囲んでいた壁が打ち崩されていきました。

また、東西ドイツの統一や東欧の国々の民主化は、
アメリカとソ連が冷戦を終結するひとつのきっかけにもなったと目されています。


【タピオカの日】

台湾で人気のあった珍珠奶茶(タピオカミルクティー)が、
2002(平成14)年11月に、
日本で初めてチルドカップ容器として製造販売されたことと、
当時の販売されていた商品名が、
タピオカQ-PONキューポンと呼ばれたことから、
Q(9)-PONの語呂合わせにちなんで、
タピオカ入り飲料などの製造・販売を行っている、
安曇野食品工房株式会社が記念日に制定しました。

タピオカミルクティーは高糖度でハイカロリーな飲み物とされていますが、
タピオカの原材料となるキャッサバ自体は低カロリーで、
ミルクティーが高カロリーだったり、タピオカミルクティーにする際に、
キャッサバを砂糖漬けにすることから、
高カロリーになる傾向にあるそうです。

また、売られている国や地域でもカロリーには違いがあり、
例えばタイ国内で販売されるタピオカミルクティーには、
多いもので3gのスティックシュガーが、
約24本分入っている場合もあるそうです。

日本のコンビニやショップ店で販売されているタピオカミルクティーは、
タピオカ1杯約150kcal〜のものも多数登場していて、
タイや諸外国に比べればカロリーは割と控えめになっているそうです。


(以上、ネット検索より)

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