日々を記録するということ

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少し前に日記を書き始めて一年が経ったことを我的七十二候馬拉松に書いた。日記なので誰に読まれるわけでもなく、その日その日に感じたことや考えたことや起きた出来事などを書き綴っている。

何のために書くのかという意味を問うこともなく、スケッチのようにサラサラと書いたものをたまに読み返す。すると、その当時のことを思い出すというよりも、何だか自分以外の誰かの日記を読んでいるような感じがあったりもして面白い。

当たり前の極々平凡な毎日だけど、それなりにいろんなことが起こり、いろんなことを考え、わずかながらも日々前進しているのだと、自分の足跡を自分の言葉をとおして確かめる。

コロナ禍という時代の潮目が変わるタイミングで書き続けた言葉を数年後に読み返したら、いったいどんな気持ちになるのだろう?そんなこともあったな〜なんて懐かしく思ったりするんだろうか。

日記なので、その日すでに起こったことを書いて記録しているのだけど、書くことで何かが起きていくという体験も同時にあって、言葉が自分を前に進ませていくのを体感しながら毎日書き続けている。

昨日は一ヶ月ぶりの文章面談だった。書くことについて、読むことについて、読まれるということについて、今、現在進行形で自分が書いている作品を手がかりにして話し合う時間を過ごした。言葉というものの持つ様々な力にふれる。まだその力の使い方に迷ったり悩んだりもするんだけど。書くことは単純に楽しい。

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