点が線にそして憎しみから和解へ 2/2

父への憎しみが一度和解の方向に向かいかけたのは、自身の離婚がきっかけ。
当時の主人と色んな掛け違いから、最後には物にあたり、クローゼットの扉に穴が空き、壁が凹みという状況に、いずれは私にも来るのではという恐怖心が芽生え、修復不可能と判断をした際に家を出ようと家探しをするも、保証人が必要。
母親に相談するも自身の苦労から感情的になり、まともな会話にならない。
いよいよ困って、止むを得ず父親に相談。
そしたら、論理的に考える思考がそっくりで、悔しいけどこの人の子供なんだなと感じた瞬間に頑なだった憎しみの気持ちに和らぎの感覚が。

でも、まだ憎しみが消えたわけではない、ただ前よりきちんと向き合って話ができるようになった。
いとこに子供が産まれ、一緒にご飯を食べに行った後に実は子供が苦手、特に赤ちゃんや幼い頃のまともに会話ができない時期がダメという打ち明け話が。
このように大人になって話すには大丈夫とのこと。

両親離婚後に母から実は私が3人目。その前の2人は流産してという話を聞き、実はそれが暴力による流産だったという話もどこからか聞こえてきていたので
今更言い訳するなよ‼️とその時も反発心が先に。

と、結局憎しみは消えずの状態が続いていたのですが、ある日、ある方にこの話をした時に、
きっとお父さんは子供にどう接していいかわからない、お見舞いもそこに行ってどうして良いかわからない、雑談が苦手で何を話して良いかわからない人がいるようにどうして良いかわからないから、そのような態度だったのでは。
暴力の部分は論外。でも、他の話はそのように思えた。
犬好きは飼い主に懐いてくる、忠実なところが好き。そういう人は猫が身勝手に思えて苦手。
子供もこの感覚で捉えてしまう人もいる。どうして良いかわからないから避ける等等

そんな会話をして当時を冷静かつ客観的に振り返るとパーツ、パーツの出来事に納得ができて、だからこうなんだ、それでこの行動だったのか。感情が作り上げた父親像ではなく、本当の父の中身をようやく見れたような感覚。点が一気に線になり、違う目線で見れたことで憎しみの感情が一気に和解の流れに。

かなり長いストーリーになってしまいましたが、辛い、憎らしい、嫌悪感という負の感情こそ、冷静かつ客観的に振り返れずに遺恨となることが多いですが、
敢えて、その感情から離れ、客観的に見つめ直すことで変わることもあるのだと実感。
生涯残るだろうという憎しみの感情を手放すことで、新たな素晴らしい出来事が起きる予感がします✨

これが最近気になっているNLP(神経言語プログラミング)の離れる、ディソシエイトを実践できたというものなのでしょうか。

まだ、この経験後、父と接する機会は持てていないですが、次に会う時に自分がどんな気持ちで話ができるのか、態度にも何か変化が現れるのか楽しみになってきました!

こんな長文の経験談にお付き合いくださり、ありがとうございます(^^)

読んでくださり、ありがとうございます✨ ほっこりする、ハッと気づく、何かを感じていただけると嬉しいです。