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#05_昔はどんな子どもだったのか

このテーマはなんだかちょっと恥ずかしくなるなあ。

でもせっかくなので振り返ってみます!

記憶のある最初(保育園)〜小学生

曲がった事が大嫌い。そして、自分が1番正しいと思っていた時代。

誰かがいじめられていたら、嫌なことをされていたら、その子とそんなに仲よくなくても仲裁に入るタイプ。

男子が掃除サボってたら注意してたなぁ。

あと、不登校の子がいたらお家までプリント持って行ってた。
先生が頼みやすかったのかもしれないけど、その子に来て欲しくて、お家でどうしているのか気になって毎週通ってたな。
でも、結局小学校の間にその子が登校してくることはなかった。

これは社会人になってからも同じで、会社に来れなくなった同期とご飯食べに行くようにしたり、電話したりよくしていた。

1人は辞めることに。1人は部署異動することに。

大人になって変わったのは、会社に来ることが正解とは思わなくなって、ちゃんと「本人がやりたいと思うことをやったらいい」と言えるようになったこと。

小学生の時は学校に来るのがゴールで、「待ってるね!」とか、きっとプレッシャーになることを言っていたと思う。

ごめんね。

中学

好きな人がバスケしていたというだけで、バスケ部に!(コート隣だからずっと見てられるw)

小学校まではマラソン大会でも後ろから3番目くらいだった私がバスケ部に入るなんて、お母さんたちはとってもとっても驚いたと思う。
そして、あまり上手ではなかったけど、副部長でした。

おかげでシャトルランで最後の3人に残るくらいにはなった。

あとは、全校生徒で歌の練習をする際に指揮をしたり、仕切る委員長に。

これもバスケ部の大好きな憧れていた先輩がやってたので、自分もやってみたい!と立候補。
(度胸だけはあった)

高校

地元の進学校になんとかギリギリ入れるけど、周りの子の頭の良さにびっくり。なんというか、「自分全然勉強できないじゃん!!」と気づかされる。

そして、世の中にはいろんな人がいる、というのにやっと気がついて、もっと視野を広く持とうとも思った気がする。

高校でもバスケ部に。中学の先輩に誘われて断れずに入部した感じだったけど、なんだかんだ最終的には部長に。
(頭のいい子達が受験に向けてどんどん辞めていった結果)
練習メニュー考えたり、練習きついときに声出ししたりするのが楽しかったなぁ。

そして大学受験でコケる。
地方の国立大受験するも前期も後期もダメで、センター利用で神奈川の私立大学に。

高校での最大の気づきは「自分、頭よくないんだ」ですね。

でも、今までで後悔している事は一つもない。

その時々で自分ができる事は全力でやって来たし、その結果、悔しいこともものすごくたくさんあったけど、その経験が今の私をつくっている。

大学受験の失敗も、もし地方の国立大に受かっていたら地方の良さに気がつく事はなくて、今1番やりたい「地方のおいしいを伝えたい」はなかったかもしれない。

神奈川の大学に進学したから、地元(長野)の企業に就職しようと思った。
今の会社で埼玉の営業所勤務になった。
埼玉に住んでいたから、東京駅近くで行われた合コンに行って今の旦那と出会えた。
今の旦那と出会えたから、とびきりかわいい娘が生まれたわけで、何か一つでも違っていたら今、自分はここにいない。

と、再認識できたので、恥ずかしいけど振り返ってよかったです!

それではまた!

いしかわゆきさんの「書く習慣」を読み、「書く習慣」1ヶ月チャレンジしています。ずっと読みたい、1ヶ月チャレンジしたいと思っていたところ、ゆぴさんに背中おしてもらいました。ありがとうございます。

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