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人間嫌い克服記録「私は人間なのか」

人間嫌いの記録を残していこうと思います。

しばらく外の世界にフォーカスをしていましたが、自分の内側に戻るタイミングが来たと思うので、文章のアウトプットも進めていきますね。

まず、私が人間嫌いだと言う話をしましょう。
これは全ての原点です。私がセルフラブを始める以前のまだ子供だった頃に戻ります。

何故自分は生きているのか。何故自分は自分なのか。

何故自分は人間として生まれてきたのか。
地球で生きるとはどういうことなのか。

そんなことばかり考えていました。

自分が「普通」の人間であって、この社会で生きていかなければならないことが受け入れられなくて、自分の外の世界ではなく、中にある世界が唯一の逃げ場であり安心する場所だった。

しかもその世界は目の前にある世界とは違い、「普通」の人間が出てくることがほとんどなかった。

「私は人間なのか」

皆さんは思ったことありますでしょうか。
「私は人間なのか」と。もしあるなら「何故人間なのか」と。

もしかして人間であることが当たり前だと思っているのでは?
当たり前ではありません。

おとぎ話の中で育った私は自分が「人間でなく妖精であるはずだ」と信じていた。
常にどこか違う世界を行き来しているような、空想の世界を生きているようだった。

今でもその感覚がある。こんなことを言ったら変な人だと思われるでしょう。
でもそんなの今更すぎる。隠しているつもりでもどこか違うのはきっとバレていたに違いない。

目の前で起きている現実なんて1ミリも興味がなかった。

特にそう思わせたのはこの社会の構造。集団生活。
社会に馴染まないといけない。これが何よりも私を苦しめた。

共働きだったため保育園から私の地獄が始まる。
赤の他人との交流は初めてで、おとぎ話で生きる私は意地悪な行為がこの世に存在することを知らなかった。

自分のペースで自由に平和に遊びたい私の世界を邪魔されるたびに孤立した。
今思えば、ただのわがままで頑固で自分勝手な妖精だったけど、自分ではそういうふうに客観視できるわけがない。

初めから自分の世界と価値観と信念を持っていたんだと思う。
自分の正義を周りに押し付けていただけなのかもしれない。

あんな世間知らずの子どもなのに、もうすでに出来上がっていた。

だから、私が大事にしている信念に矛盾することが起きると許せなかった。
怒ったり泣いたり必死に言葉にしたりした。
でも声をあげても無駄だった。

大人が常に正しいから。

大人は子どもに怒る。大人は怒ると怖い。大人に怒られると悲しい。大人のいうことを聞け。

子どもは子ども扱いされる。何も知らない未熟な生き物として扱われる。

何も知らないんでしょって。大人になれば分かるよって。

でもそれは間違っている。

大人は自分が正しいと思っているだけ。
子供になら勝てるから。子供なら支配できるから。

子どもは大人を見て育つの。
見てきた大人になっていくの。私はそれが嫌だった。

こんな大人になりたくない。

大人のための世界。

地球って大人のためにあるの?

つづく

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