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丁寧な暮らしへの憧れ

田舎へ引っ越して

東京から徳島へ引っ越して約2年。1年が経ったときに残していたメモがあったので、忘れないようにnoteにおいておこう。

好きで働いていた

東京で働いていた時は、四季どころか1日の時間の流れも分からなくなるくらい慌ただしい毎日を過ごしていて、別に特別なにか世の中を大きく動かすようなことをしていたわけでもないけれど、1分1秒が惜しかった。
家から最寄りの駅に着くまでの約10分が1日で唯一太陽を浴びる時間で、洗濯物を外に干すことはない。浴室乾燥機かコインランドリー。マンションの部屋には24時間換気がついているので窓を開けることはない。カーテンも大きく開くことはない。開いてもレースカーテンは絶対に外さない。マンションの部屋に陽の光が入ることはほとんどないので、常に電気を点けて過ごす。
人気のお店でコーヒーを飲んでみること、おしゃれな街を歩いてみること、流行りのお店に飲みにいくことで休日を過ごし、月曜日にはまた1分も待たずに乗れるように地下鉄のホームへ行き、急いで電車に乗って働きに行っていた。
そんな生活を送っていたけれど、好きな仕事をしていたし、仕事に集中していると家のこととか暮らしのこととかそんなにどうでもよかった。どうでもいいとかどうかということすら気にしていなかったかも。

精進料理をきっかけに

ところが精進料理を習うようになって、野菜と四季について意識するようになった。季節の花は好きだったり、景色が変わるのを観に旅行したりすることも好きだったのに、野菜と旬のつながりのことなんてすっかり忘れていた。野菜には旬がある。それは本来その野菜は、自然の中でその時期の太陽の光や土の状態、雨の量で育つということである。季節によって太陽の光の強さは変わり、湿度は変わり、気温は変わる。そんな当たり前のことを、私はまったくないものにするような生活を送っていたんだなと気づいた。野菜を見て、これはどんな光を浴びてきたのか、どんな水を吸ってきたのか考えるようになった。そう思うと、太陽を浴びて土が近くにあるような生活に興味を持つようになった。
精進料理ではこんなことも習う。
「私たちはいつも自然の恵みをいただいている。だから大切に丁寧に扱う。大事にするのは食材だけではなく、調理器具や調理をする場所、器、食事をする場所、すべてにおいてである。」
禅宗の教えは厳しくて有名だけど、そもそも私たちは自然の中で暮らしているという、わたしたちも自然の一部であるということを思い出させられるようだった。
それから、丁寧な暮らしに憧れるようになった。暮らすことを丁寧に行うとはどんなものか調べるようになった。instagramでは、世界中でたくさんの人が自分の身の回りのことを自らの手で行い、「丁寧に」暮らしている。朝日を浴びて庭の手入れをしたり、山にお花を摘みに行ったり、自分が育てた果物でジャムを作ったり、火を焚いて調理をしたり、たくさん採れた野菜を干したり、夕日を眺めながら家族団らんしたりして、季節の移ろいや1日の太陽の動きに合わせた暮らしをしている。彼ら彼女らの生活を切り取った写真からは、ゆったりとした時間の流れが見えていた。ひとときひとときを大切にしているけれど、1分1秒を争ってはいない。

わたしも丁寧に暮らしてみたい。

ていねいってなんだろう??


せっかく田舎にいるのだから、私も丁寧に暮らしたい。いや、丁寧に暮らす。
さて、どうしたらいいのか??

田舎に来たものの(田舎出身ですが)、いきなり畑仕事ができるわけでもなく(というか、実はトマトは育ててみたけど続かなかった・・・)果物なんてもってのほか、お祭りごと(神事)もいまいち覚えられない・・・。仕事でばたばたする癖もついてしまっているのかそういう性分なのか、朝に庭をいじるような時間はなく・・・ていねいなくらし、向いてないのかな??なんだか、丁寧に触れよう触れようとしてみると、自分のガサツさが浮き彫りになってきた。
「あれ・・・??わたしってこんなにおおざっぱでズボラな人間だったの?!」
というか、丁寧ってどういうことなんだろう?
古い家で昔からある家具や調理器具をそのまま使うこと?お庭で花を育てること?自分で服をつくること?
考えたくないけど、どうやら、私は丁寧が向いていないんだろう。トマトを枯らしてしまったあたりからうすうす気づいていた。きっと丁寧に暮らす人は、丁寧ってどういうことかなんだろうなんて思わない。普段の振る舞いがそうなっているんだろう。精進料理を習って旬のことも覚えたし自然の恵みを大切にする心構えも教わっているから、私は簡単に丁寧に暮らせるだろうなんておごりがあったんだ。誰にでも手に入れられるものじゃない。挫折を味わいながらもやはり田舎で暮らしていると、朝日と夕日を見て感動したり、通勤途中の風景に足を止めたり、土の上を歩く靴を選ぶようになったり、山の花の名前を知ったり・・・確実に私の日々の生活は変化し、自分の時間の流れ方も変わった。

たとえガサツでずぼらでも・・・

考えてみたら、丁寧さが向いていない人でも田舎で暮らしていると丁寧な暮らしを味わえるのかもしれない。例えば、自分のご飯を作るにしても産直市で売っている、自分の住む土地で育った野菜を使うだけでも、どんな風に育ったのか想像ができて大切に扱っている気持ちになれる。ご近所さんにもらった野菜ならなおさら。
例えば、仕事が忙しくて家と職場の行き来だけが続いていても、通勤途中の景色で季節の移り変わりに気づくだけでも、自然に近い生活をしている気持ちになれる。
便利なことに慣れすぎて結果もすぐに求めるようになっていたけれど、すこしずつの変化に気づけるようになったのは、ズボラな私の丁寧な暮らしに向かった大きな前進だ。


読んでくださってありがとうございます。精進料理がきっかけで移住したと言えるくらい精進料理の世界にはまっていますが、食べるものはなんでも好きです!四国は野菜に果物、お魚などおいしいものがたくさんあるので、食べものに使わせていただきたいと思っています。レポートします!