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いただきますまでの距離

「いただきます」と食事の前に手を合わせるのは、食事を作ったものやその食材を育てたもの、そしてその食材に対して感謝の気持ちを唱えるという子供の頃に教わる日本文化。精進料理にその起源があり、修行僧は食事(じきじ)作法に則って食事をする。その中でも「五観の偈」という「いただきます」を掘り下げたものがある。

五観の偈(平等寺食事作法 白水文庫4より)

一には功の多少を計り彼の來處(らいしょ)を量れ
<この料理がどのようにしてできたか考えなさい>

二には己が德行の全か闕(けつ)か多(た)か減(げん)かを忖(はか)れ
<自分がこの料理を食べるに相応しい行いをしてきたか考えなさい>

三には心を防(ふせ)ぎ過(とが)を顯(あらわ)すは三毒に過ぎず
<食を必要以上に求めることや妬みや愚痴をこぼすことは毒である>

四には正しく良藥(りょうやく)を事とし形苦(ぎょうく)を濟(すく)わんことを取れ
<食事は命を養うための薬として、適切な量を摂取しなさい>

五には道業(どうごう)を成(じょう)ぜんが爲なり世報は意に非ず
<修行の完成のために食事をするのであって世俗的な利益のためではない>

いただきます

調理してくれた人だけではなく、お米一粒を見ても種を撒いて手入れをしている誰かがいて、また水や太陽の光など自然の恩恵も受けて自分に与えられているということを思い、感謝をする。
料理人になった気持ちでこれはどこのどんな気候で、どんな人に育てられたのだろうかなんて考えながら、「おかげさまでおいしくいただけます」と感謝する。
いただきますとごちそうさまは、わたしたちにとって当たり前の作法だけれど、すべてのものに感謝するということはすっかり忘れていることがある。

こんな田舎で暮らしていても、お腹が空いたなーーと思ったらだいたいすぐに食べるものが手に入る。コンビニもあるし、外食するところもあるからすぐに満たされる。とてもありがたい。精進料理とは逆かもしれない。食材を手に入れ、それをどのようにすればおいしく食べられるか考え、丁寧に扱い、捨てることがないよう工夫する。「いただきます」までの距離が長い精進料理は、自分の生活を振り返ることができる特別な時間のようにも感じている。

それに、丁寧に料理をするのも楽しい。お米を炊くことだけで言っても、お米を研ぐときに手に伝わる感触、ご飯が炊けてくるにおい、ふつふつと湧いてくる音、しゅうしゅうと出る湯気、炊き上がって焦げ目がつく寸前のにおい、蓋を開けたときのつやつやなご飯、ひとつひとつ味わいながら料理するのは五感が刺激される。そして美味しいご飯が炊けると、あぁわたし、おいしいご飯が炊けた。なんてちょっと自信ついたりする。

和食文化を伝えようとか、感謝していただくことを大切になんてこともいちおう考えてるけど、ご飯が美味しく炊けてほうれん草が上手に茹でられて味噌汁できたらなんだかめっちゃ幸せな気持ちになるっていうのが1番伝えたいことかもしれない。




読んでくださってありがとうございます。精進料理がきっかけで移住したと言えるくらい精進料理の世界にはまっていますが、食べるものはなんでも好きです!四国は野菜に果物、お魚などおいしいものがたくさんあるので、食べものに使わせていただきたいと思っています。レポートします!