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社会はなぜ子どもを望むのか?#01 コンテンツ編〜母親になって後悔してる〜

社会はなぜ子どもを望むのか?というテーマに対し、今回は書籍「母親になって後悔してる」から考えてみます。

母親になって後悔してる

イスラエルの社会学者、活動家のオルナ ドーナトの著作。母親になったことを後悔している26歳から73歳までの女性の証言を社会学的に分析した研究。


もともとの研究論文は、英語論文ですが、以下から参照できます。

https://doi.org/10.1086/678145

本著の特徴は、母親になって後悔することや、母親になる前に戻りたいと思う気持ちを排除してしまうことに疑問を持ち、その後悔に焦点をあて、分析しているところです。

子どもを持つことに対するイスラエルの考え

著者の出身地であるイスラエルは、ユダヤ教の影響から「産めよ、増やせよ、地に満ちよ」の考え方が深く根付いています。そのため、2020年時点で出生率(※)は2.9と高い数値です。ちなみに日本は同じく2020年で出生率は1.34です。イスラエルでは、子育ての環境がかなり整っていますが、その一方で子どもを持たないという選択や、母親になったことの後悔が認められにくいことも事実です。

※出生率:人口1,000人あたりの出生数を一般的に指す。人口に対する年齢や性別が考慮されていない数値。これを考慮した数値として、合計特殊出生率は15〜49歳までの女性が一生に何人の子供を産むかを表している。

今回は、なぜ社会は子どもを望むのかという観点で本著を分析するため、母親になる前の考察をいくつかピックアップします。

母親になる道筋

母になる道筋は様々。選択・非選択というシンプルなものではなく、疑念、ためらい、混乱など複雑な感情で境界が曖昧になる。

「母親になって後悔してる」第1章より

この記述から分かるのは、子どもを持つ・持たない、産む・産まないという二項対立ではなくて、母親になる道筋はかなり複雑な因子の選択によってつくられるということです。

社会的な期待として自然の摂理から子どもをもつことが自然であるとされると、本著にも記載があります。
確かに、「女性に生まれたんだから、今でなくてもいつかは子供が欲しいでしょう」という期待は私自身言葉にされなくとも感じます。直接的に言葉をかけられたことはないので、自分自身がそう思い込んでいる可能性はあります。

一方で、養子縁組や精子提供を受けて不妊治療された方の話を聞くと、「そこまでして子どもが欲しいの?」と言われた経験があるとも聞きます。

そう言われる所以は、「自然の摂理」に反しているからなのでしょうか。私の実感としても、なぜか自分の身体で子どもを産みたいと思っている自分がいます。それはいつ、どこで、学んだのでしょうか。

この答えは模索している最中なので、議論を一歩先に進めます。

本著によると、母になる道筋は「自由意志」のもとに成り立つと言われるが実際にはそうではないのです。あなたが選択をして母になったのであり、母にならない選択をする自由意志がそこにはあったと言われるのです。

しかし、母になる道筋は前述の通りもっと複雑な選択のもとに成り立っています。
例えば、母になるか、社会から疎外されるか。イスラエルではその出生率の高さからも、母にならない選択は社会から疎外されることに繋がりかねません。
また、著者のドーナトは母にならない選択をするにも条件があると指摘しています。これはイスラエルにおける条件といえますが、「白人で、教育を受け、宗教の縛りがなく、中流階級」であれば母にならない選択ができる割合が高くなると記しています。

まとめ

  • 母になる選択肢は、複雑な選択の連続のもとに成り立つこと

  • 母になることの理由として、「自然の摂理」であると一般的に考えられてしまっていること

  • 母になる選択は、「自由意志」に基づくと考えられているが実際にはそうではないこと

「母親になって後悔してる」から、社会が子どもを望む理由は「自然の摂理」と考えられていることが一因であると読み取れます。日本では、「人の本能」であると考える方もおり、繋がりのある論点なのでこの切り口をもう少し探っていきます。

また、自然の摂理と捉えられる一方で、母になる選択は自由意志ではなく、複雑な選択や条件下に成り立つのが現実であることも見えてきました。この点についても、アクターネットワークなどの理論をもとに今後考察していきたいと思います。

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