人物像、被害者、正義の味方

いい大人にはもうなってしまってるので、いい大人の集まりの代表にはなりたくない話。果たしてなってないだろうか。とはいえ同年代や年上との交流が全く無いというのもなんか怪しい気がしてきたけど一緒に没落するくらいなら今の感じが好きかも。

被害者

最近考えていたのが被害者の話。結論を言うと被害者って簡単になることができて、自分を可哀想な存在に落とし込めさえすればいいからというところである。
僕自身様々な理由で色んな人間に嫌われてしまったりはすることもあるけど、別にそれを嫌われたくなかったかと言われたら、やりたいことをやっただけだし、嫌われる選択を取った、みたいな捉え方をする。その分色んな人の為になることをできた気がするし、何より自分が欲しい物を作れた気がする。嫌われた!って被害者じゃなくて、嫌われる選択肢を取ったっていう自分が主体の話にする。実際何かを考える時のリスクで反感を買いそうだな~ってなってもそのまま押し通すこともある。その時に嫌われたって被害者ぶるのを辞めた。

正義の味方

悪い事をしていたらアンパンチで吹っ飛ばす、で倫理教育が止まっている人には理解されなさそう。ちなみにアンパンマンマーチの歌詞は幼児に聞かせる程単純じゃないみたいなツイートを見かけて、ほんとだ!ってなった。大人も見るべきなのかもしれん。
それはさておき、世の中には悪い物はたくさん存在する。
悪い物は沢山存在するからそれを叩けば簡単に正義の味方になれる。
この悪い物さえ自分の酌量でいいから捌けば正義の味方になれる。物によっては規模も大きくなるし承認欲求も満たせそう。

「非行少年の善行に対する見解」と「悪い人に対する罰の必要性」をオープンチャットに聞いたことがある。丁度流行っていた時

僕の考えることがどうしてもこの理屈を超えられない。だから偶に参考にしている。倫理観をAIに任せるのも癪だけど僕が幼稚だから仕方ない。

何者でもない人間

被害者も正義の味方も規模さえ大きく成れば本人は正しいからみんなに慰められるし、該当者は処罰されるかもしれない。それで承認欲求が満たされる。そんな人間にはなりたくないなという話。何物でもない人間が何者かになる手段として優れている手段だと思う。


でも本当に悪い人間が許せない領域にいて、どうしても懲らしめたいなら然るべき手段で抹消するのを目指したい。警察やサポセンに通報するとか、それでも叶わないなら自分がルールを作る側に回る。そうやって目標を立てるのも生きる理由になるんじゃないか。とか考えていた。憎しみや復讐、世界征服っていい仕事をするんですって主張。

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