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【記憶を記録する】ある兵士の記憶③

少しずつですが、取材でお目にかかったご高齢の方からうかがった「戦争体験」や「昔の商店街の賑わい」「祭りの華やかさ」などをまとめる【記憶を記録する】と名付けた活動をおこなっています。

今回の「記憶」は、以前取材させていただいた方のお父様の「戦争の記憶」です。戦地での手記の一部分の複写と投稿の許可をいただきました。

「ある兵士の記憶②」はコチラをどうぞ↓

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 先頭部隊は今有力な敵部隊と戦闘開始、稜線を越えて来る流弾(ソレダマ)がピュッピュッ真近に頭上をかすめる。ザラザラ坂に脚を滑らせ乍ら山を降って珍らしく立派な道路に出た。図嚢より地図を出して見る。これぞ将軍の物資・弾藥の補給路たる宣昌より、京山、應城間を結ぶ軍公路だ。最早吾は其の血脈路を完全に封殺してゐるのだ。

 道路に沿うて五、六軒の民家はいづれも荒されて人影無く、まだ生温い感じのする支那兵が七、八人眞赤にそまって倒れてゐた。

 乗馬傳令が飛ぶ。命令受領隊が走る。其の後から衛生隊がマル腰になって擔架を小脇に走って行く。敵味方の銃声に戦闘を身近に感じた。道路に沿ふて各部隊は待機の姿勢をとった。

 敵のチエッコ機銃が軽快な音を立て、山々に木霊(原本は聾玉)すると同時に前方の家屋の屋根瓦を飛ばして藪の中にするどく落下した。附近の兵がバラバラ散って凹地にころがり込んだ。

 とり残された駄馬が無心に雑草を喰んでゐる。

 「通信隊ハ其の主力ヲ以テ所在ノ敵ヲ排除シツ。三角山ニ進出シ戦闘司令所及北村部隊○○隊トノ連絡通信網ヲ構成スベシ」

 師団命令が發せられた。部隊は道路上を避けて畦と泥田の中を進んで行った。前進不能に陥った各非戦闘部隊が駄馬と共に敵弾を避け山際に、破壊家屋の影に、凹地に退避各兵達は長く横になって案外呑気な顔に大声を上げて笑い乍ら吾々を見送っていた。それが決して不自然な光景では無く戦場の常として度々こうした機會に接してゐる。吾々戦闘部隊も顔をほころばせ戦ひに望む者とは受け取れない悠々と軽い足どりで第一戦に前進出来るのだった。

 それはむしろ「戦闘部隊」と云ふ優越感が吾々兵をそうさせるばかりで無くお互の笑顔の交換が百言に勝る荘嚴なる最後の餞でもあるのだ。

「おい頼ムゾ。」

「よしッ引受けた。」とも心の中、ああ、何と云ふ美はしくも力強い、そして簡単な無言でかわす男の意志表示であらう。彼等とて今にも知らぬ命では無か……。

 山際の小途を雑草に脚を取られ乍ら右に迂回して約百五、六十米程前進した時、突然左手の稜線上よりバラバラ撃って来た。

 あまりに敵と近接してゐた為、吾々の三角山への隠密廻路をもろくも察知した敵は小銃、機銃を以って側面より一勢に射撃して来たのだ。

「散レ」

遠藤曹長の號令も何も傍の泥溝の中にガバッと伏せた。生温い泥水が胸から、股から気持が悪い。瞬時の出来事に目先の水に我慢もなく四、五杯夢中ですすった。

 味方の銃口から一勢に火を吐くや壮烈極る戦闘が開始されたのである。

ある兵士の記憶④に続きます。

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