〈すかがわスケッチ2024〉①芭蕉さんとウルトラマンと少年少女像と思い出と
会津若松への旅も三春町の旅も、まだ書き終えていないというのに、またまた新しい旅を投稿です。今回は「旅」というよりも、街なかをスマホでスケッチ程度に撮影しただけなので、タイトルを「スケッチ」といたしました。
今回スケッチしたのは、福島県郡山市の隣町、須賀川市。
7月27日(土)AM、用事があったため、同僚の車に同乗して須賀川へ。わたしの用事は1時間もかからず終了しましたが、同僚は12時まで仕事です。
しばらく街なかにある須賀川市民交流センターtette(テッテ)で、のんびりしましたが、通り沿いのウルトラマンと怪獣たちを撮影したくなり、「そうだ、これも旅にしちゃえ!」と撮影スケッチに出かけたのでした。
須賀川市は人口7万2000人。
戦国時代には二階堂氏の須賀川城があり、伊達正宗のおばにあたる大乗院が女主として守っていました。しかし、須賀川城は政宗に攻められて陥落。大乗院も親戚のもとに身を寄せることとなりました。
須賀川城を攻めるにあたり、政宗は大乗院に何度も和睦を求めましたが、大乗院は聞き入れなかったといいます。
この戦いで命を落とした人びとを弔うためにはじまった「炬火」が、現在11月第2日曜日におこなわれる「松明あかし」につながったといわれています。
(以前、嘘か真か冗談かはわかりませんが、地元の方から「昭和の時代まで須賀川では「仙台からは嫁をもらうな」といわれていたと聞いたことがあります)
江戸時代は奥州街道の宿場町として賑わい、あの松尾芭蕉さんも7泊8日も逗留し、3句も残して……とか、書いていると、写真を掲載して、ちょこっとキャプションをつけるつもりだったのに、どんどん長くなってしまう💦
須賀川市の観光スポットについてはコチラをどうぞ♪
芭蕉さんのことは、〈すかがわスケッチ2024〉②で書くといたしまして、ちょっと前までは、須賀川の観光名所といえば。5月に290種・7000株の牡丹が咲き誇る須賀川牡丹園でした。それから、8月の釈迦堂川全国花火大会と11月の松明あかし。
しかし、現在の須賀川市は、M87光の国と姉妹都市を提携した「ウルトラマンの街」だったりします。
それは、ウルトラマンの生みの親であり、円谷プロの創始者でもある円谷英二監督の出身地だから。震災後、須賀川駅から街のメインストリートである中町(松明通り)まで、ウルトラマンとウルトラ怪獣たちの像がずらりと並ぶようになりました。
駅でも福島空港(須賀川市とお隣の玉川村の間にあります)でも、ウルトラマンがお出迎え。特産の一つ、絵のぼりの手法を取り入れたかわいいウルトラマンのバッグがつくられたりして…。
などと書いていると、どんどん長くなってしまいます💦
そして、もう一つ。
先ほど書きかけましたが、須賀川市といえば、俳聖松尾芭蕉さんが「おくのほそ道」の旅で、7泊8日も逗留し、3句も残した街でもあります。
そんなワケで、須賀川の中心市街地には、ウルトラマンとウルトラ怪獣のモニュメント、松尾芭蕉さんと曾良さん、芭蕉さんのお知り合いの商人・相楽等躬(さがらとうきゅう)さんの像、そして、なぜか可憐な少年少女像が仲良く同居しているのでした。
以前はさほど不思議に感じなかったし、現在もそんなに違和感はないのですが、よくよく考えるとおもしろい組み合わせかもしれない。
今回はそんな街中の風景を、いつも通り写真中心でお送りします♪
須賀川の中心市街地といえば、その昔「赤トリヰ」なるデパートがあった中町の通り。現在の通称は「松明通り」(県道54号線)。
そこには、こんな方々が…
その近くの喫茶店前で「しゅわっち!」
その近くには、平和そのものの愛らしい少年少女像が…
この怪獣さん、名前なんだっけ?と記憶を探っていたら、台座に記されていました。古代怪獣ゴモラさん
こちらもベンチに座り、小首(首はないけど…)をかしげるカネゴンさん
あれ? 以前ここにあったパン屋の玉木屋さん、閉店したと思ってたけど、リニューアル? ウルトラマンのパンは、今も販売されているのでしょうか?
カネゴン前から向かい側を見る。SHOT M78はウルトラマンのショップ。以前、このへんに「須賀川市をウルトラのまち」にすべく活動していたサークル「しゅわっち」の皆さんの拠点があったはず。
須賀川市はわたしの出身地。といっても、暮らしていたのは郊外です。赤トリヰのある中町は、子どものわたしにとっては“都会“でした。
その頃からあった白光堂デンキさん。
この近くに文具の「まふね」さんがあったはず。高校時代、サンリオのキャラクターグッズを買いに行っていました。ああ、わたしにも、そんな時代があったなあ……と思わず遠い目になってしまいます。
と思ったら、こんなオシャレなお店がOPENしていたりして。
ショッピングは楽しい♫赤トリヰ〜♪の跡地に完成した須賀川市民交流センターtette(テッテ)。市民サポートセンターや図書館、子育て支援センター、貸しホールなどが入っています。
わたしがこんなだったころ↓よく週末に赤トリヰに買い物に連れていってもらっていました。なつかしい思い出です。
セブン、セブン、セブン…♪と口ずさみたくなる世代だったりします。
中町の通りから十念寺方面へ。この写真の左側には、佐々木靴屋さんがあったような気がします。芳賀生花店は現在もあり。その近くの昔ながらの食堂で、チャーハンを食べた覚えがあります。
ホテルウィングと東邦銀行を背景にエレキング。
エレキングのアップ
街灯にも怪獣たちが…
またまた無邪気な少年像
ここからは中町→大町へ向かう県道54号線と国道118号の交差点。
ここは子ども時代の思い出の場所の一つ。
いつ頃撤去されたか不明ですが、昔はここに歩道橋があり、写真に写る信号左手の茶色のビルに「桔梗屋書店」という本屋がありました。
小学生時代、一時期耳鼻科に通院していた時期があり、バスで八幡町で下車し、耳鼻科に行く前に桔梗屋さんでよく立ち読みをしていました。
当時は文学少女だったわたしが読んでいたのは「赤毛のアン」シリーズ♪ 実に少女らしいセレクトです。それがどうして今のわたしに至るのかは謎💦
作者のモンゴメリーの自然描写が好きだったなあ。
〈すかがわスケッチ2024〉②へと続きます♪
この記事が参加している募集
いただいたサポートの半額は地域の小さな祭りや伝統行事を守る保存会に寄付し、残りの半額は取材にかかる交通費や宿泊費に充てさせていただきます。よろしければサポートお願いいたします。また、収支は定期的に発表いたしますm(_ _)m