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翌日早朝。俺は、罪の意識なのか、居た堪れなくてあの場所に帰れないからか、交番前の公園にいた。
 秋山みると話をしたあの公園だ。あの頃の俺は浮かれに浮かれていて、全てを掌握できるような万能感が——あまり感じられないどころかそれが揺らいでいて終始動揺していたが。
 何にせよ、秋山みるという狂人よりも、今は自分の方が恐ろしいし、自分の事で他人にまで手を回せる気がしねえ。
「あー‥‥」
頭も体も回らず、起きているのが辛く、かと言って今は、周囲の視線がどういう訳だか過敏に感じる。
 やりようのない体すら、どう対処するか浮かばない。
 俺はただただ、大っぴらに開けた脚に肘をつき、顔を覆うために椀型にした掌で、目元を覆った。
ベンチで項垂れる中年もどきの出来上がりだ。取り敢えずこれでいいや。

 こんなような機能停止は、覚えがある。廃人のようになる人間の記憶だ。それでも周囲は相手にしない。そんなことくらい、何度も見てきたからわかるだろうに。
 早朝の「やらなくてはならないこと」に向かっていく人間たちが、俺を訝しげに見て、その上、白麗やヨミに繋がる人間たちが見ていそうで、背中の怖気が止まらない。

——いや、むしろ俺はそんな事に怯えるのがお似合いだ。むしろもっと自身が嫌な思いをすればいい。
俺がアイツにしたことはこんなことの非にはならない。天秤の候補にすら挙がらない。

ハァーー・・・・

ほとんど無意識化に近いため息がついた。
そこから少し間を置いて、背中に手が当てられた。
「ひっひっふー・・・・」
 この状況に最もそぐわないその掛け声で、声の主を察し、怖気が爆増した。
「秋山みる・・・・」
「はーい。みるみるです。でもー、フルネームはちょっとー・・・」
 いつもの調子だ。彼女のその素振りに、嫌とすら浮かばない。
「ねー・・・未明さん。未明クルメ、さん。・・・・この間のことですよね」
 そうだ。そういえば、彼女は現場にいたんだった。じゃあ白麗の次に遭遇してはいけない人物だったのではないだろうか。
「あの・・・あたしは、一度、気に病むのをやめちゃったらどうか、って思います・・・」
 よりにもよってそんな言葉—————それじゃあ俺のした罪と同じだ。
本当に彼女は空気が読める『良い子』か?実は全て俺の妄想で、彼女は白麗の関係者——俺を、俺に、もっと罪を重ねさせて——頭がグワングワン。意識が朦朧とする。
「あ、たし・・・ですね、変なことばっかしちゃうから・・・あの・・・反省、することが多いんだ、です。
目、突いちゃったときも、人にあれこれ話して、困らせちゃったときも、ふと思い返して、恥ずかしくて、苦しくて、死にたく、なるんです。
ももももちろん!実行には、移しませんけど・・・・でもやっぱり、その恥ずかしさを持ったまま社会生活が送れるほど、胆が据わってなくて・・・・」
 胆、胆か。いつも自信過剰で、人前なんてなんのその!何でもできる天災——みたいな秋山みるでもそうなるんだ。というか、こういうタイプはそりゃあそうだろ。俺は記憶師としてのあれこれも出てこなくなったのか。ああ、もう嫌だ。
「だから・・・そういう時は、思い切って、『寝て忘れる』んです。
恥ずかしかったな、辛かったな、後悔だな・・・思うのは勝手です。でも、外に出て、動き出してみなくちゃ、もう一度するかどうかはわからないし、したとして、次にやらかす相手が同じ人の可能性の方が低いんです!
で、相手が変わったらリアクションも変わって、あたしの奇行も、凄く良い物だ、って言ってくれる誰かかもしれない。次は。
だから・・・えー、っと、その。
あ!催眠にかかりましょう!
そう!催眠!」
——あれ。おかしいな。俺に「気に病むのをやめる」さんのことを説得させるための語りかけだったんじゃなかったか?
「ハイ!深呼吸!吸って~スゥーーー」
お前が吸うんかい。
「ゥゥゥゥゥ・・・・・・ゲッホゲホッ・・・吸って、吸って下さいよお・・・スゥーーー」
「・・・・スゥー」
「ハァァァァァッァ」
「・・・ハー」
「もっかい!」
「・・・・スゥー・・・ハー」
 深呼吸には、リラックス効果がある。それと、彼女の平常運転で、気も数センチほぐれているかもしれない。
「そしたら、強く信じるんです!
『俺は未明クルメ。誉高き記憶師の一人で今までの人生に起きたことは、全て、必要だったもの。』です!さあ!ハイ!」
「・・・・・それは流石に無理あるだろ・・・」
 というかそれを認めてしまったら、記憶師のエゴイストっぷりが拍車をかけてすり寄ってくるだけで。
「みっ、『未明クルメだけのためじゃない。むしろ、未明クルメのためじゃない。俺じゃなく、俺の周囲に影響を及ぼすために、俺はこの人生になった』」
 思わず顔が上がる。そこには、真っ青な顔で、必死に高らかに宣言している少女の姿があった。
「『記憶師の人生は、お客のためのもの。お客に影響を及ぼすためだけに存在するもの。今のこの瞬間も、秋山みるのために、影響を与える状態になっているだけ』」
 彼女の言うことはいかにも幼稚で、稚拙で、でも、とても暖かく、俺を魅了するような文言だった。
「・・・・罪は、相手が許したら消えるもの、では、ないですけど・・・・少なくとも、被害者が、貴方の自責の念で、苦しんでて悲しそうな顔をしているのなら、あたしは、すっぱり忘れることを勧めます」
 ——そうか。
 秋山みるの背景には、夕日がいた。
 早朝に来たはずの公園で、夕日をバックに、彼女が俺に強い衝撃を与えてくる。
「もしかしてだけどさ、朝、俺のこと見かけた?」
「はい」
「それで、その足で記憶シュまで行って、俺がいたって事実を伝えたら」
「白麗さんが、切なそうでした・・・。ホントは言わないつもりだったんですけど・・・ごめんなさい。白麗さん」
 そういう約束だったのだろう。少女の申し訳なさそうな沈痛な面持ちが、俺の胸に刺さる。
「ありがとう。向かうよ」
 どこから湧いてきたのかもわからない活力に突き動かされ、俺は立ち上がって平然と動き出した。
「あの・・・」
「みるみる。本当にありがとう。今日は反省会じゃなくて、出来れば・・・祝賀会を開いてくれたらうれしい」
 そういって走り出した。 まるで小説の主人公かのように。

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