見出し画像

7* かっこよくいたかったんだな、自分って

四藤です。

polcaでやっていた企画が終わりました。見てくださった方、支援してくださった方、ありがとうございました!個人的に、polcaをやったことがなくてやろう!と思った時はとても怖かったのですが、「はじめて」を乗り越えられたことはいい経験になったなと思います。

今回、目標支援額に届かなかったのは、告知不足・自分の魅力不足が根本にあると思うのですが、一番は「誰かのため」が足りなかったのかなと思います。自分の願いが先に出ちゃった感じ。これは反省点ですね。


さて、今日記事を書きたかったのは、自分のことを振り返るきっかけがあったからです。きっかけは、一日一絵を始めようとしたこと。でもね、びっくり。私三日目で絵を上げるのが怖くなっちゃったんですよ。

自分の絵がどんな風にみられるのか。バランスが悪い、上手じゃない、もっとちゃんと描けないといけない、それでちゃんと描いてるの? そんな、誰も言ってない言葉が自分の頭の中でリフレインして。恥ずかしくて、恥ずかしくて怖くて、消しちゃったんです。自分の、絵。

そこで気づいたんですが、今まで生きてきた中で、私が誰かに自分の弱みを見せたことってほぼないってことに気が付きました。負けず嫌いだし、人に舐められたくないから、弱みを見せるという選択肢がなかった。完璧な自分以外が愛されるわけないと思っていたし、何なら今でも思っているし、だから完璧な自分を見せれる時期や時間帯しか、人の前に出ていけないんですよ。7月は完璧じゃない不完全な自分が前に出ていたので、そのせいでほぼtwitterに浮上してませんでした。笑 いや、笑えねえ。

本当はもっと綺麗な言葉で、もっと昇華した内容でnoteにあげるつもりでした。だって完璧な自分以外見せたくなかったんだもん。見せたら嫌われるかもしれないし、ああこんな人だったんだって幻滅されるかもしれないじゃん。それがこの世の何よりも、ものすごく、コワイことだったんです。

でもそれが、自分の足を止めているということに気が付きました。はっとさせられたのは下記のツイート。

いいものを作らなきゃ・・・と自分自身に枷をつけて、動けなくなっていた7月。どうしても息が吸えなくて、苦しかった7月。つらかった。苦しかった。下手でもよかった。下手でも、作り出してもよかった。だって、誰も表現を止めない。止める権利なんてない。

わたしの目標は、「自分が好きな人たちが生きやすい世界を作ること」だなって、この苦しい期間に思ってました。そのためには、自分も自分の弱いとこ・無様なとこ・恥ずかしいところをためらっちゃいけないなぁと。怖いけど。怖いけどね。怖いんだけどね。(大事なことだから三回言いました)

かっこよく生きたい。たぶん、その願いが消えることはないんだけれど。でも、かっこよく生きるより、自分がなりたい自分になれる方が、イラストや文章をちゃんと形にできる人になれた方が、私は嬉しい。それがいつか、かっこいいって周りに言われるような、そんな道になったらいい。そんな風に思いながら。

もうこの記事も、えいや!って気持ちで書いてます。綺麗さとか、わかりやすさとか、とりあえず後回し。でもいい。とりあえず、文字にしたい気持ちがある。文章にしたい気持ちだけある。見て。考えて。感じてほしい。それがいつか、ちゃんと綺麗さを纏えたらいいな。

あなたも、苦しい?苦しかったりした?
きっと成功してきた、と思われている人たちも苦しくてどうしようもない夜があったんだろう。今この時間に生きている人たちも、苦しくて眠れなくてしょうがなかったのかもしれない。私も、眠れない。それでも朝がくるよ。朝がくる。大丈夫。だいじょうぶだよ。

結論。たくさん書いて、たくさん悩むことにする。みまもっててね。見守ってくれるあなたに、ありがとう。

noteを見てくださってありがとう。私の言葉であなたの心が少しでもあたたまったのなら、それ以上に嬉しいことはないです。Twitter(@ushio4222)もよろしくね。