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【中編小説】恋、友達から(006)

「悪いね萌絵、買い物付き合ってもらっちゃって」
「いいよいいよ。最近は芳乃ちゃんと遊べてなかったし。私も久しぶり画材を見れて楽しかったし」

 芳乃ちゃんの横には画材の詰まった紙袋が置かれている。テーブルには紅茶のポットとパンケーキ。冷房が効いて湯気が立っている。そこそこ広いお店は七割方が埋まっており、私たちは隅に座っていた。

「芸大の受験勉強ってどのくらい大変?」
「うーん、私はあんまり大変に感じてないんだよねー。予備校の先生は面白いし、お題にどう応えるか考えるのも楽しいしね」
「やめられない?」
「やめらんない」

 とっても楽しそうな笑顔だった。ともすれば悪役のような笑顔だけど。

「ま、強いて言うなら自分の描きたいものを描く時間をあまり取れないことかなぁ。少しずつは進めてるんだけど」
「どんなの描いてるの?」

「テーマは『恋の無意味さ』だよ」芳乃ちゃんは私を窺うようにして続ける。
「男の人のゴツゴツした手と女の人のしなやかな手が重なった状態で手前にあって、タブレットを見てる絵になってる。画面には動画投稿サイトが映っていて、サムネは全部宝石になってる。そして男女の手には結婚指輪。そこに宝石は無いんだよ」

「ああ、なるほど」
 宝石の意図はそこにある訳だ。

「恋愛とネットをやってるときの脳って薬物を使ったのと同じような状態になってるらしいから、わざわざ恋愛で麻薬成分を作らなくても今は他のことで作ればいいよねって。あと、結婚に恋愛なんて要らないじゃん。恋愛婚の方が離婚率高いんだからリスク高いでしょ。頭が麻薬成分でまともじゃなくなってるんだから当たり前なんだけど」

 それを言うならネットのおかげで今やみんなの頭がまともじゃないとも言えるけどね。と芳乃ちゃんは楽しそうに言った。

「そこまで作品について説明するなんて珍しいね。いつも嫌がるのに」
「大した作品じゃないからね」
 つまらなさそうに言って芳乃ちゃんはパンケーキを大きく頬張った。

 まあ確かに芳乃ちゃんの作品にしては分かりやすいと言うかベタついてる作品な気もするけど……現代を皮肉っぽく切り取ったという意味で面白いとは思うけどなぁ。

 まあその絵が芳乃ちゃんの〝解釈〟だったり〝答え〟という訳で、それを誰がなんと評価しようと芳乃ちゃんが大したことないと評価するのであればそうでしかない。にしても、結果が見えてるのに描き続けてるなんて芳乃ちゃんにしては珍しい。

 もしかして大したことなくても伝わる自信があるとか? 
作品っていうのは意図通りに伝わる必要なんて無くて、見た人それぞれの解釈がそれぞれの答えになる訳で(表現行為と解釈を委ねるラインってのは難しい話になるけど)、
そこに充分な意味を生じさせられると思ってるからこそ続けてるとか? 
いやそれこそ芳乃ちゃんらしくない。

「ねえ萌絵、ここって実はセムラで有名なんだよ?」
「えっ」
 びっくりして顔が上がった。慌てて言葉を探す。
「せ、セムラってなに?」

「スウェーデンの伝統的な菓子パンだよ。某海賊漫画でも出てきたんだけど、ほぼデザートだね。頼もうよ」
 提案するや芳乃ちゃんは店員さんを呼んで二人分頼んでしまった。まあいいんだけど。

 どうやらセムラというのはカルダモン入りのパン生地にエスプレッソ・アーモンドペーストを塗り込み、間に生クリームを挟んだものらしい。調べてみたところ、食べられるようになった時代は諸説あるけど、断食前にカロリーを蓄えるために作られたものみたいだ。今ではイースター前に食べられる期間限定のお菓子で、毎年どこが一番美味しかったか発表してるとか。
 本場では春に食べられるお菓子だけど、ここでは年中売ってるらしい。

「紅茶に合うね」
 そんな味わいだった。

「そうでしょ。ちょっと前に知ったんだけど、結構お気に入り。萌絵は今度松倉さんを連れて来たらどう?」
「うん、そうだね」
 友達として、今度誘ってみよう。

「萌絵、口にクリームついてる」
「え、ほんと?」
 スマホで確認したら確かに付いてた。紙ナプキンで拭き取り、丸めてテーブルの端に。

「ちょっと聞いてほしいんだけどさ」と芳乃ちゃんが微かに神妙な雰囲気で言った。

「私って人間をかなり生物的に認識してるじゃん? 結婚して子供産んで次の社会を担っていけるまで育てることが生き物としての役割だと思うし、なんなら産む気のない人の分まで産んで育ててもいいと思ってるぐらいな訳で――こんなことを考えるような私と友達でいてくれるだけで萌絵にかなり感謝してる訳なんだけど」

 随分と真面目な話が来て驚く。前にも、

 出産する人が減れば日本を支える人が減る訳で、つまり働き手が減るし、輝かしい才能を持った人が出て来る可能性も減る訳で、だから日本はもっと子供を産みやすい社会にしないといけない。じゃないと確実に日本は衰退する。こんなの分かりきったこと。

 みたいな話をしていて、十七歳でとんでもないこと考えてるなと思ったんだけど、今回もそんな話かな、と思ったら、やはり似たような感じで。

「私は恋愛なんて不要だと思ってるんだよね。お見合いみたいなのがちょうどいいと言うか。好みの遺伝子を持ってる男を見つけて結婚生活が大丈夫そうかお試しで同棲して、それから結婚すればいいだけで、恋愛をする意味が分からない」
 ――でも。

 一拍置いて、芳乃ちゃんは言った。

「だけど恋愛を否定するつもりはなくってさ。だから萌絵にはちゃんと納得のいく形で恋をしてほしいんだよ」

 あの話題からここに着地するあたり、芳乃ちゃんって感じだった。そして同時に私のことを本当によく見てるなって思う。

「恋……か」
「何かあったんでしょ? 分かるよ」
「まあね……」
「もしかして松倉さんにバレた?」
「ううん、そうじゃなくてね」

 思い出す。
 この前のこと。

 彩ちゃんに明らかに好意を抱いている男子と二人で楽しそうに話をしていたときのこと。どんな話をしてたのかは分からない。でも。
「え、ああ、いや。困ったな」
 彩ちゃんが赤面した。

 照れることはあってもそんな顔、今まで一度も見たことがない。
 友達には見せたことのないような――それはどこか浮ついてるような雰囲気で。

 それはつまり……そういうことなの?

 そう思うのが当然なくらいの表情だった。

「そんなことがあったんだ」
 真剣な面持ちで芳乃ちゃんは俯いた。
 うん、と私は頷く。

「だからもう諦めることにした」

 微笑の言葉。
 芳乃ちゃんが僅かに目を見開いて、そっと顔を上げた。

「去年も諦めたじゃん。本当にいいの?」

「と言ってもこの気持ちがすぐに消えてくれる訳じゃないから、冷めるまでそっと恋してるよ。それでいつか消えたら、それからは今まで通りの友達になるだけ」
「そういうことじゃなくて」

「土俵に立つことも許されてないんだから、仕方ないんだよ」

 堂々と答えた――つもりではいるけれど、私はどんな声でどんな表情をしていたんだろうか。

「そう」
 芳乃ちゃんは不満そうに呟いた。

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