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【中編小説】恋、友達から(007)

二章 松倉彩と友達

 久しく恋をしてないなって、ふと思った。

 最後にしたのは……確か去年だ。十月の文化祭のとき同級生の男子を好きになった。私は写真部に入部していて(ほぼ幽霊部員だったけど)、文化祭の展示のために写真を貼り付けていたのだけど、そのとき一枚の写真にとても目を引かれた。

 家屋に挟まれた路地階段――それを見上げるように撮ったもので、奥に一匹の猫がいた。やけにかっこいい顔をした猫で、その猫がまるで『付いて来い』と言わんばかりにこちらを見ているものだから「付いて行きたい」と思ってしまうぐらいだった。

 とても素敵な写真だなぁと思い、誰が撮ったのか確認したところ、隣のクラスの目立たないタイプの男子で、そのギャップと言うのか……少し気になるようになって、ちょっと恋をしてた。

 まあ本気の恋とまではいかなかったと言うか、付き合いたいと思わないぐらいのものだったから何も言わなかった。実際一ヵ月ぐらいで冷めたし。

 そんなことを思って、そういえばどんな恋をしてきたのかと振り返ると、去年のを含めて三回だけだし全部浅いものだった。そもそも恋愛にあまり興味がない方だからまともな恋愛経験があると言えない感じ。
 だからなんだという話でもあるんだけど。

 でも、こうして「恋をしてないな」って思ったということは、そろそろ次の恋もありだと思っているってことなんだろう。
 最近だと明らかに私に好意を持ってる人がいる訳だけど……。

「松倉さん、ちょっといいかな」
 掃除当番の萌絵を廊下で壁にもたれて待っていると、ほんの十センチぐらいという目の前に女子が立った。
「確か広本さんだよね」

「うん。ちょっと話いいかな?」

 萌絵が私たち以外で唯一友達と呼べる人なのだけど、機会が無くて一度も話したことがない。

「話って何?」
「実はこれを見てほしいんだけど」
 彼女はポケットからすっと取り出したスマホを、横向きにして見せてきた。

 絵だ。女性の裸体の絵。
 美術品なんかでよくあるやつ――と思って油断した、その顔はどう見ても広本さんのもので、つまりこれはセルフヌードだ。
 あまりの衝撃に全身が硬直してしまう。思考すらも止まるほどに。

「あれ、松倉さんって元は写真部でしょ? だったらこのぐらいで戸惑わないでよ。女性のヌードを専門で撮る女性カメラマンだっている訳だし」
 そ。
「そういう問題じゃないって……!」
 喋れるぐらいには硬直が解けたけど、それでも絞り出すような声にしかならなかった。

「そうなの。ふーん……、萌絵と仲がいいからこのぐらい平然と対応できると思ってたけど、案外普通なんだね」

 なぜ私はいきなりディスられてるんだろう。

「まあラッキーと思おう」広本さんはなおもスマホを見せ続ける。

「ヌードをどう解釈するのかってのは芸術じゃよくある題材なんだよね。単に卑猥なものとして見るか、神聖なものとして見るか、強さの象徴だったり、逆に弱さだったり情けなさだったり。私からすれば猫や犬の裸体と人間の裸体なんて大差無いし、動物のお尻を撮って『かわいい~』って言ってるのを見ると人間のお尻を撮って『かわいい~』と言ってるのと同じに見えるんだけど、人間って不思議だよね。それをテレビとかで映せないってのは性欲の問題があるからだけど、卑猥なんて悪い響きを持つ言葉を女の身体に向かって言うのはどうかと思うんだよね。もっと大切にすればいいのに」

「な、なんの話?」

「さてここで私がセルフヌードを描いた理由だけど、どこかの誰かの全裸と目の前の人間の全裸ではもちろん認識の仕方が変わってくる。私みたいに芸術の鑑賞について少しは理解があるとそういった目で見る訳だけど、あなたみたいな人にはもっと単純に性的なニュアンスが出てくるよね。で、つまりそれが目的なわけ」

「いや、分かんないけど!」
 小さな声で叫んでいた。
 廊下でなんてことをしてくるんだこの人は。

「なるほど」
 何やら納得して広本さんは一歩退がった。スマホを仕舞う。

「ごめんね急に。ちょっと確認しなくちゃいけないことがあったからさ。萌絵によろしく」
 それだけ言って彼女は何事も無かったかのようにスタスタと去って行った。

「なんだったの……」
 ゲリラ豪雨にでも遭った気分だ。まだ六月なんだけどな。
 ああ、びっくりした。
「それにしても」

 こう言ったらあれだけど、萌絵が紹介しようとしないのも納得だ。こんな僅かな時間で彼女がとんでもない変わり者だということが充分に分かった。なんかメチャクチャ観察されてたし。
 何に納得したんだか。少し満足そうではあったけど。
 まさか私にセクハラして楽しかった――なんてことはないよね……?

「おまたせ」
 萌絵が来た。なんか安心するな。

「あのさ、変なこと訊くけど……広本さんって中身おじさんだったりする?」
「ほんとに変なこと訊くね」萌絵は少し悩んで。「おじさんではないよね。なんて言うか、物事の見え方がちょっと変なだけで」

 ちょっと?

「いやさ、さっきいきなり話しかけられてセルフヌード見せてきて色々言われたかさ」
「何やってるの芳乃ちゃん……」
「ほんとなんだったんだろうね……」

「まあでもセクハラ的な意味は無いと思うよ。絵の表現意図は分からないけど芳乃ちゃんってそういう目的の絵は描かないし、たぶん別の意味があったと思う」

 そうなのかな。
 萌絵の言葉をそのまま受け止めるのが難しいぐらいに色々言われたからなぁ。

 それにしても、萌絵ってあの広本さんと仲がいいんだよね。もしかして私の知ってる萌絵って、ほんの一面にしか過ぎない?
 でも、二人で話してるところを見かけたことがあるけど、いつもと変わらない感じがしたんだけどな……。

最後まで読んでいただきありがとうございます