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【中編小説】恋、友達から(019、020)

 彩ちゃんが逆光で薄暗く映る。公園にいる人たちはみんな私たちのことなんか気にした風もなく、自分たちの世界を謳歌している。その向こうには多くの人たちが縁日を賑やかしている。
 煌びやかな世界に私たちは二人だけのように感じられた。

 ドキドキと心臓が高鳴る。
 体中が熱を帯びて、同時に心のどこかが冷えている。きっと怖いんだ。ここまで状況を整えてもらってもまだダメなんじゃないかと怯えている。

 ずっと誰とも付き合ったことがない。
 告白なんかしたことない。

 女の子しか好きになれなくて、それを誰にも打ち明けられずに来た。
 こんなことになるなんて芳乃ちゃんと出会うまでの私は絶対に信じられなかったと思う。そのときの私が、今の私に恐怖を与えているのかもしれない。

 さっきまで見えていた仄暗い海は今も静かに揺れているんだろうか。これだけ人間が騒がしくしているというのに海は「我関せず」と言わんばかりに穏やかだ。今の私には、それがどこか力強く感じられた。
 その力強さを、今だけは少しお借りしたい。

 私は俯いた。
 息を吸う。

 足元ばかりの視界で芳乃ちゃんが居ないことに気づいた。いつの間にか二人だけにしてくれていたようだった。本当、どれだけ感謝すればいいんだろう。あとでちゃんとしっかりお礼を言おう。
 そんなことを思いながら息を吐いた。

 そして改めて空気を吸い込みながら、私は覚悟を決める。

「彩ちゃん、聞いてほしいことがあるの」

 一度だけ口を引き結ぶ。彩ちゃんは私が何か言おうとしたことに驚いたのか少し目を開いた。彩ちゃんが言おうとしたことがもしも私の想像通りなら、どうしても言わせたくなかった。
 心臓がうるさいくらいに騒ぎ出す。

 ごめんね彩ちゃん。
 私に言わせてほしいんだ。

 彩ちゃんの目を見て、声が届くようにはっきりと、私は言った。


「好きです。付き合ってください」


 言って、同時に恐怖が押し寄せる。
 怖い。
 怖い。
 怖い。
 身体が強張る。今すぐにでも目を逸らしたい。いっそ逃げ出してしまいたい。

 実際にはほんの数秒に満たない時間だったかもしれないけど、それは何十時間にも無限にも感じられて。
 もはや涙すら出てきそうになったところで。

 彩ちゃんは笑った。
 嬉しそうに笑って、言った。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 ◇◇◇◇◇


 芳乃ちゃんから『花火は興味ないから帰る』とメッセージが来ていて、私たちは二人で観覧席の方へ向かった。
「萌絵、手を繋ごう」
 甘酸っぱさの欠片も無い真面目な調子で言われた。
「あの、なぜそんな感じで……」

「はぐれたのは誰」

 そうだった。

「じゃあ、繋ぎます」
「うん」

 手を繋いだ。

 彩ちゃんの手は火傷しそうなぐらいに熱くなっていて、こっちも熱くなる感覚がした。実際に熱くなってるかもしれない。手汗が……。
「手汗は許して」
「あ、うん、私こそ」

 二人で苦笑い。
 それはそれで甘酸っぱい感じがした。


 それからしばらくして打ち上げ時刻となった。観覧席の前の方で、つぐみちゃんたちは前にいて、私たちは後ろに並んでる。
 やがてアナウンスのあと、打ち上げが始まった。


 様々な色と形で真っ暗な夜の空を彩る美しき花火。
 咲き誇る無数の花々に誰もが夢中だ。
 そんな中、私たちは手を繋いでいた。

 伝わる体温に胸を躍らせながら。
 誰もが見上げる空を、私たちも見上げていた。


 020

 それから一週間が経過した。それは付き合い始めて一週間が経過したことも意味するのだけど、私たちは絶賛受験勉強中。

「ほら、ちゃんとやらないと一緒のところに行けないんだからね?」
「分かってるってば」
 と言いながら彩ちゃんはベッドで足を下ろした状態で寝転がっていた。私のベッドで。

 一緒の大学に行くためには結構頑張らないといけない状態で、私よりも彩ちゃんの方が頑張らないとマズい学力なのだけど、うーむ。

「キスしてくれるなら頑張る」

 突然何を言ってるんだか……。

「そんな理由でキスなんかしません」
「そりゃそうか」

 がばっと起き上がる彩ちゃん。ぐっと身体を伸ばし、スタスタ歩いて私の横にすとんと座る。

「どうしたの?」
 と振り向いたところ。

 ぐっと顔が近づいた。
 そして柔らかく触れた。

 一度離れて、もう一度触れて。

 すっと彩ちゃんは立ち上がった。テーブルの向かい側に腰を下ろす。

「さて、やりますか」
 気合十分な様子で言って参考書をパラパラとめくり始める彩ちゃんを、私は呆然と見つめるしかできなかった。じっ、と唇の感触はしっかり残っている。

「萌絵、いつまでほうけてるの? 勉強するんでしょ」
「だ、だだ、だって、今……⁉」

「ファーストキスにしてはうまくやれたと思ったんだけど、ダメだった?」
「そ、そういう話じゃなくて!」

「ああ。もう一度ってこと? これでも私もドキドキしてるから休憩がほしいんだけど」
 よく見れば彩ちゃんの顔が軽く赤みを帯びていた。
 こっちも顔がほてってくるけど、なんかやられっぱなしと言うのも、悔しいかもしれない。

 ぐっと息を止める。

 私は立ち上がり、テーブルに手をついて身を乗り出し、彩ちゃんの頭に手を回してから唇にキスをした。
 で、なめらかな動作で座り直した。

「お返し」

 彩ちゃんがびっくりした顔で固まっている。数秒して目をぱちくりさせて、楽しそうな笑みを浮かべて言った。

「萌絵、性格がちょっと積極的になったよね」

 私も笑って尋ねる。

「悪い変化?」
「良い変化」
 私は満足して頷く。
「じゃあ良かった」

 参考書を開きながら「そりゃ積極的にもなるよ」と心の中で微笑を浮かべた。
 だって。
 ようやく叶った恋なんだから。

 だから、何もできなかった頃の私のままじゃいられない。

 彩ちゃんとの日々がこれからも続いていくように。
 恋が冷めても好きでい続けられるほどに彩ちゃんのことを知っていきたいんだから。

 そんなことを考える夏の日の午後だった。

最後まで読んでいただきありがとうございます