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【中編小説】恋、友達から(005)

 濡れた衣類を制服から下着まで浴室に干して備え付けの乾燥機を掛け始め、それから私たちは全裸で彩ちゃんの部屋へ服を取りに向かった。順番としては服から回収しておきたかったところだけど、びしょびしょの足で歩き回るのはダメという松倉家のルールにより却下。幸い今は私たちだけしかおらず、とはいえ人の家で裸というのは恥ずかしいので出来るだけ素早く二階に上がった。

 それにしたって、彩ちゃんの家には何度も来ているけど、このシチュエーションは初めてだ。好きな人の家で全裸というのは色々と困ると言いますか、思うこともあれば目のやり場にも困る訳で。

 彩ちゃんは女同士だから気にしてないんだろうけど、こっちは自分を制するために内心大変な表情だった。

「何かリクエストはある?」
「シンプルでお願い」
 オッケー、と彩ちゃんは全裸のままタンスをあさると、適当に見繕ってくれた。

「これでいい?」
「うん、大丈夫」

 キャミソールとTシャツにスウェットパンツ。大きめのタオルで髪をまとめてからさっさと着てしまった。タンスと柔軟剤に彩ちゃんの匂いがして、むにゅっと少しばかり表情が動いてしまったけど、すぐさま何気ない顔に戻した。それのせいで内側に悶々とした感情が溜まることになってしまったけど、これはもう頑張って耐えるのみ。

 それから再び脱衣所に戻り、洗面所の棚から彩ちゃんがドライヤーを手に取りプラグを挿し込む。

「はい、萌絵。先にどうぞ」
「あ、ううん。彩ちゃんが先にしてよ。髪短いんだし」

 私は背中まであるけど彩ちゃんは肩に掛からないぐらいだ。

「そう? じゃあ先にやるね」
 風が送られ雨の香りが立つ。バサバサと豪快に乾かしていくのを私はスマホを手にしてチラっと見ていた。


「てかさ、せっかくだし今日はうちで勉強でもしようよ。服を乾かす間に」
 乾燥には一時間ぐらいは掛かるらしい。私たちはひとまずリビングに向かった。リュックの中身をテーブルに置いていたこともあるけど、温かい飲み物を淹れるためだ。

 窓の外は土砂降りが続いていた。

「しばらく降りそうだね。通り雨だと思ったのに」
「夜から降る予定だったみたいだよ?」
「あ、そうなんだ。じゃあ早まっちゃったんだ」

 仕方なさそうに言って彩ちゃんはキッチンへ歩く。

「さてさて、何飲む?」
「紅茶で」
「ダージリン?」
「うん」

 彩ちゃんがティーバッグの個包装を取り出して、食器棚からマグカップを。私は電気ケトルに水を入れて沸かし始めた後、筆記用具とかを彩ちゃんの部屋にまとめて持って行った。

 戻ったときにはお茶請けの載ったお盆があって、やがて熱々のお湯がマグカップに注がれた(本当は蓋をして蒸らした方がいいんだけど面倒だからこのまま抽出してしまう)。

 ティーバッグをシンクに置いて、二階に上がった。

 むんと湿度を持ち始めた部屋に冷房を入れ、お盆を小さなテーブルに置いて大きなテーブルを挟むようにして座る。幸いにもノートなどの浸水被害は微少なもので、机に広げる。教科書は学校に置いてるから彩ちゃんの参考書を使う。

「そういえば」

 さあ始めようというタイミングで、彩ちゃんは言った。

「大学どこにするかって話、昨日したじゃん?」
「ん、そうだね」
 下校中の雑談で確かにした。

「どこにしようか少し考えたんだけど、萌絵と一緒がいいなって」
「え」
「特に学びたいことがある訳でもないし、まあ四年もあれば何か見つかるかもしれないし、ということで萌絵と一緒ならどこでもいいやって」

 ま、まあ、そんな感じだよね……。

「私もその方が嬉しいな。学力的には同じくらいだし」
 実際、同じ大学というのは結構現実的だったりする。

「それで萌絵は県外と県内どっちにするつもりなの?」
「県外がいいって思ってる。できるだけいいところに行きたいし」

 本当は県内の国立大学が学力的にちょうどいいと思うんだけど――勉強してもいいかなって思う学科もあるし――でも問題はそこに通っている人だ。

 去年まで恋してた先輩。
 懐かしいな……。

「となると、もうちょっと頑張らないといけないかなー」
「うん。これからみんなグングン学力上げていくから、現状維持だと足りないし」

「それじゃあ私も本格的に頑張ろっかなぁー。目指せ東大! ってね」
「はははっ、それは大変かも」
「あー、無理だと思ってるなー」
「そういう調子で言ったのは彩ちゃんです」
「まあね。アハハ」

 楽しそうに笑う彩ちゃん。
 かわいい。

「ていうか、つぐみちゃんたちはどうなんだろ」
「あの二人は二人で一緒のところを目指すんじゃないかな。バドミントンは続けないらしいけど、そんなこと言ってたと思うし」
「そっか。じゃあ、私たちは一緒のところに行っても大丈夫かな」
 変な軋轢を生まないで済むし。

「うん。だから今度具体的にどこの大学にするかひとまずの目標を決めよう?」
「そうだね」

 闇雲に勉強するよりある程度目標を定めていた方が方針を立てやすいし、それだけ着実なステップアップが見込める。

 それにしても、同じ大学かぁ。段々嬉しくなってきた。
 彩ちゃんは紅茶を一口飲んで、ふと言う。

「それにしても萌絵と友達になれて良かったよ。大学に行って誰も知り合いが居なかったら不安だったし」
 その言葉に一瞬、動揺した。
「そうだね。私も彩ちゃんが居ると嬉しいし」
 そう答えた。すると、

「ねえ、萌絵」

 不意に、真剣な表情を向けられた。声も真剣で、でもどこか不安そう。どうしたんだろう、急に。
 彩ちゃんは言う。

「なんか、ずっと気になってたんだけど――私、萌絵に何かした?」

 え。

「何もないけど、どうして?」
「いや、ここ二週間ぐらいだと思うんだけど、私に対してだけ萌絵が妙な反応をしてる気がするんだけど……違う?」

 そ、それは……。まあ確かに何かしたと言えばしたと言えなくもないけど、そういうことじゃない。ていうか問題は気づかれていたことだ。で、でも、その理由までは分かっていないみたいだし、誤魔化せる。

「えーっと、その」
 言葉がうまく出てこなかった。

 その反応で確信したんだろう、彩ちゃんは改めて真剣な様子で言う。
「友達なんだから、何かあるならちゃんと話してほしい」
 そう言われて、私は、落ち着いた。ひんやりと冷えて、頭がちゃんと回る。

 友達――そうだよね。彩ちゃんにとっての私は、ただの友達だもんね。
 だったら、言うことは決まってた。

「あのね、私、いつもフォローしてもらってばかりでしょ? だから、少し申し訳ないなって思うようになってたの」

 そう言った。
 それは嘘だったけど、同時に正直な気持ちだったから。

「……そっか……」
 彩ちゃんは神妙な面持ちでうつむいた。
「ごめんね、更に困らせちゃって……」

「いいよ。……でも、私が萌絵をフォローしてるのは、私がやりたいだけなんだよ。それは分かってほしい、かな」

「……そっか」
「うん」

 やっぱり彩ちゃんは優しいな。こんな私のことを好きで助けてくれる。私のダメなところも含めて私と一緒に居てくれてる。

 やっぱり私、彩ちゃんのこと、好きだ。

 私は微笑を浮かべる。
「じゃあ、甘えてもいい?」
 計算じゃなく自然と、まさに少し甘えるような声音でそう言っていた。言ってこれはあざといと思われても仕方ないと思ったけど、それでも彩ちゃんはちゃんと受け止めてくれた。

「いいよ。むしろそんな気持ちでいてくれた方がこっちも楽だし」
「……うん、分かった」

 やっぱり、彩ちゃんがいい。
 そんなことを思った。

「そうだ、一つ謝っておきたいんだけど」
 彩ちゃんがふと、そんなこと言った。同時に申し訳なさそうな顔を見せる。
「なに?」
 促すと、彩ちゃんはちょっと目を逸らして、言う。

「本当はさ、今日萌絵を引き留めたのは、この話をしたかったからなんだ。だから、服の上から何か透けないものを着れば普通に帰れたのに、それを言わなかったんだよね」

「えっと……それは何の話?」
 急な話で内容が理解できなかった。走って帰るのを引き留めた理由?
「いや、その。萌絵の気持ちを確認したくて。だから、ブラを見えないようにできたのに適当な理由をこじつけて家に上がらせたんだよねっていう……」
「……あ」

 そっか。確かにブラが見えるのが問題なら、上から何か羽織れば終わる話だ。蒸し暑いとはいえ、薄手のものならそんなに目立たないし。
 気付かなかった。

「ごめん」
 彩ちゃんが頭を下げて、すぐに私は首を振った。
「う、ううん。私が彩ちゃんに変なこと考えさせちゃったのでおあいこ。だから気にしないで」
 本当に申し訳ないと思うし……。

 彩ちゃんは躊躇ためらい気味に顔を上げた。その遠慮がちな表情に、私は笑みを向ける。それで安心してくれて、彩ちゃんは微笑をこぼした。
「ありがと、萌絵」
「いいよ、こちらこそだから」
 そして、言った。

「やっぱり、萌絵と友達で良かった」

 素敵な笑顔。
 何度でも恋をしてしまいそうな。

 でも――

「うん、私も」

 私は嘘をついた。

 友達。
 彩ちゃんにとって私は友達。
 友達だから、私のことも心配してくれて、何か不和が生まれたらちゃんと解消したいと思ってくれる。
 友達だから。
 一緒に居たいから。

 でも、私が気持ちを打ち明けたら、どうなる?

 きっと、この関係は崩れてしまう。
 私も一緒に居たい――でも、そのためには、友達でなければならない。
 …………うん。
 そうだね、こんな関係で居続けられるのなら、友達でもいいのかもしれない。

 いつか好きじゃなくなったとしても、一緒に居たいから。
 だったら、恋してる今も、それでいいよね。

 ずっと友達。
 変わらず友達。
 きっと、それでいいんだ。


 それから二時間ほどして雨が上がった。おそらく一時的なものだけど、それでも一時間ぐらいは大丈夫と確信できるぐらいに晴れていた。乾いた制服を着こんで家から出る。
 虹が出ていた。
「バカだなぁ、私」
 どこか灰色がかって見えるそれに、私はそっと祈った――

 今日みたいな日々が、これからも続きますように。



 翌日、彩ちゃんが教室で男の子と楽しそうに話してるところを目撃してしまった。別に彩ちゃんはいつもそんな感じだけど――だけど、その相手が彩ちゃんのことを好きだという男子で、彩ちゃんの表情が――。

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