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愛の証明。

れいちゃん。
昨日今日、おねえちゃんとちっさな旅に行ってきたの。
たった1日だけれど、いろいろ感じたひとときだった。
そしてね、
ごめんねだけれど、きみのことを
すっかり忘れていたの。
これまでほぼ毎日考えていたのに、
さっき、東京に戻ってきて思い出した。
きみのこと、考えてなかったなって。
不思議ね。
でも、それももう、わるくないよね。

きみがこの世界に来るまえ
つまりはわたしが妊娠していたころ
すごく怖かったのを覚えている。
きみをちゃんと愛せる自分になれるんだろうかって。
だって、おねえちゃんはわたしにとって
ものすごく大きな存在で
まるで混沌だったわたしの生に、意味と希望を与えてくれた
かけがえのないいのちで、
唯一無二の光だったから。

でも、そんな疑惑は、きみがこの世界に生まれ出た瞬間に
吹っ飛んだ。
その瞬間から、わたしは同時にふたり愛せる自分を知った。
その感覚は、今でもはっきり覚えている。

だから、きみを失ったわたしは、いつまでも、
もうひとりを求めようとしてしまう。
もちろん、求めているのはきみなんだ。
でも、もしかしたら
証明したいのは、ふたりを愛せる自分なんじゃないかって
思えてきて
空しくなることも、ある。
そんなこと証明したって、何にもならないし
必要もないのに
まったく、見栄っ張りだよね。

それだけ、きみの不在が痛手だって
ことにしておこうかな。

こんなふうに、6年経ってもまだ
いろいろ思考しているの。
宇宙の営みからすれば
ひとの一生なんて、ちりみたいなものなんだと思う。
なのに、こんなにもおおごと。
だからこそ、どんないのちも奇跡で
唯一無二。

世界がどんなに不条理でも
そこに普遍がある。
だから救いがある。

その事実を身をもって知る。
今宵もまた。
おやすみ、れいちゃん。








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