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今何がしたいのか、今何ができるのか、今を考えなきゃ今は生きられないことを知った

さて、12/18日から家を出て僕にはもう帰る家がない。立派ではないし経験も全くないが、身分はきっちりとホームレスになったワケである。

今はというと、まだとりあえず友人の家に居候させていただいているのだが、なんせ持ちものがまだまだ多くて参ってしまった。

コレくらいリュックに収まるだろうよと思っていたが、そんなことはまるでなく、考えがとてもじゃないけど浅かったようである。

旅のさなかに最低限使うものをチョイスして、あとは宅急便で友人の家まで送ったのだが、最終段階になっても段ボール4箱くらいあってぶったまげた。
塵も積もれば山となるとは言うが、布切れもわんさとまとめりゃただの荷物だし、紙切れの束(本)なんて3冊も持てば強烈に重たい使えない情報でしかなくなる。

日々買い足すものの重量なんて考えることも実際に測ることもしないけど、意外と僕らが生活の中で抱え込んでいるだけのものは多いと自覚した。


リュックひとつで生活しようと試みるのは知恵と知識、そしてシンプルな心が必要だ。
アレもしたいコレもするかもしれない、ソレもコレも使えると思う。

そうやって傲慢にも先のことを考えてない予定にも備えて準備している自分が馬鹿みたいに感じた。
今は未来のことなんて関係なくて、今を明日の知識で生きようとしたって、結局なんにもできなくなるだけなのである。


「今何がしたいのか」

それだけを考えていかなくちゃいけないのだ。


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