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奪い合いを譲り合う

小学生の頃は“奪い合う”ということをしていたなぁ。あれは良くないですよね。
お菓子とかゲームとか、すべり台とかブランコとか、ドッヂボールの場所取りとかね取り合ったり奪い合ったりで、早い者勝ちとは言うけれど、酷くも男の子って卑劣な手を使うもんだから、強引に遊んじゃう。

だけど、そんなことを翻すようなすごい言葉をオトナになってから知りました。

確かマザーテレサの言葉だったか、こんな名言がありますよ。


奪い合えば足りないが、分け合えば余る。


出た!コレぞまさに名言

確かにそうなんですよね。
奪い合っていると、「コレもコレも俺のだー!あとコレも!」と、全部誰かが持っていったりして弱い者が負けちゃうんですよ。ジャイアンみたいなやつが幅を利かしているんですよね。
その反面で悔しい思いをして、残念だなぁとか悲しいなぁという思いをして侘しさ溢れる貧しい生活をしているひとがいくつもいくつもこの世界にはいるんですよ。(いたのです)
だけどそれじゃダメだって誰もがわかりますよね。きれいごとでもいいので、そういうのって平和じゃないよって言いたいです。

でも、それを言葉で説明して言おうと頑張ってもなかなか言えないですが、マザーテレサさんはひとことで解決しちゃったのですよ。すごい。


コレは、あくまでも食べ物とかに対して言っているんだと思いますが。人間である限りは、そういう大切な言葉も、色々なところに応用させてみるべきです。

で、僕が考えたのは、運転している時ですよ。
今年は、煽り運転が酷く問題視されていた記憶がありますが、車の運転にもコレは応用できると思います。
安全運転を心がけるにも「譲り合いの精神」は大切だとは言いますよね。

そうなんですよ。
道路はみんなのものだから、奪い合うことでは何も生まれません。俺の俺のと、奪い合っていたって、たかだが車1台分早く走れるってだけで、たいして早くもなったり速くも走れるわけではないのですよね。
(うんこしたいとか、今すぐ赤ちゃんが産まれそうってとき以外はちょっとでも速く走れることは重要ではないような気がします)

みんな譲り合おうね、そうすりゃ道も有り余る。

どうぞどうぞ、これからの僕は。

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