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伝わりやすいにはコツがある

自分だけで済ませる事と、人前で行う事って違います。
人前で行う事ってそんなに多くはないと思うんですが、たまに「ちょっと見ないでよ」って思う事がありますよね。

今思い出してみてどれが嫌かなんていくつもいくつも出ては来ないけど、ひとつだけ”これだけは上手くないと何だか恥ずかしいな”なんて思う事があります。


そう。

字を書く瞬間。


僕の字は「個性的」と誰かがうまいこと言っていましたが、はっきり言って汚いです。すごく汚い。
どれくらい汚いかって、こんな感じ。

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ですね。
字がキレイなのって羨ましいです。

ところで、何のメモでしょうかね。酷い時なのもそうですが、字も間違っています。“済む世界”が正しい。かなり恥ずかしいですが、載せてしまったもんはしょうがないですね。



何で羨ましいかって言うと、「伝わりやすい」から、それに尽きますね。
いや、カッコイイだとか何とかってことも、もちろんあるんですが、字がキレイだからってカッコ良くはないです。必ずしもそこは直結しないんですね。
そうですね。何でそこが直結しないのかというと、字がキレイなのは技術であって性格ではありません。
よく通信講座とかで、字を上手く書くのが上達する講座がありますが、字は例えるならばスポーツと同じなんですよね。うまい字を習ってそれをいくらか練習していくとどんどん上達していくと、そういう事なんだと思います。


「じゃあ練習すれば?」って?

う、うん。したいんだが…。
ね、わかるでしょ。この、何か新しい物事をすんなりとはじめられないこのやるせない気持ち。


ま。それはいいとして、「伝わりやすい」のが何がいいかって、表現の方法がグンと増えますよね。
手紙を書いたり、習字をしたり、メモしたり、お願い事をしたりです。
あとは、自分を含めて、後で見やすいというのは誰からも感謝される事があります。(かといって、誰からも感謝を要求したいとかそんなことではないのですが)

僕のメモって自分でもわからない事があって、それがすごく恥ずかしいんです。
読めはするんだけどまとめ方がよくわからないとか、ワードそのものが、なぜそこに書いてあるんだとか、もしくは字が汚くて読めないとか見間違えるとか。そんなような事をいくらか経験してきました。


字そのものに性格が現れるかどうかはわかりませんが、字を見ていろんな判断を下す事ってよく考えるとたくさんあると思うんですよね。
例えば履歴書を書く時なんかがそうです。

最近はスマホで作る事ができてそのままコンビニで印刷できるのですが、以前そうやって作った”自作の履歴書”で面接を受けに行った事がありました。
その反応が僕は気になりました。
なぜかというと、パソコンやなんかで作った履歴書なんか、僕は”手抜き”な気がして少しドキドキしていたんです。

履歴書というとだいたい手書きで「間違えないように慎重に書く」のが当たり前な気がします。
だから”気持ちがこもっていない”とか”楽をしてきたな”なんて思われるんじゃないかと思ったんですね。

ところが、その反応はというと
「わざわざ印刷してきてくれたんだね、ありがとう。」

と、まさかの好印象。

面接してくださる方にもよるので、一概にそれが良いかと言われたらそうではありませんが、その時は手書きじゃなくて良かったと安堵したのを覚えています。

そうなんですよね。
気持ちを伝えたり伝言をする場合を除くと、字は”読みやすくする”のが良いのです。

あとは、字が汚いって何がいけないのかって、大切な伝言だったりお願いもそのままの汚いままで書かれると、そもそも読めなくて…


「このひとは伝える気がないのか!」

なんて思われてしまうのがオチです。
実際に以前働いていた職場に、全てが汚い方がおられたんですよね。
持っている物から服から”におい”までも…。そう、性格もそうでしたし行動や言葉使いもそうでした。そして書く字も汚くて読めないことが、社内では有名でした。

よく職場に、”情報共有ノート”などがありますよね。
問題や決定事項などが書いてあったり、上司と直接会えなかったりして、みんなが思っている職場の疑問や質問を投げかける場所となっていて、僕なんかはラクガキとかしてみんなを困らせていましたが(絵で説明する場合が多かったと言い訳しておきましょう)、そこにそのあまりおキレイでない方が質問を書いたんですね。すると…


「字が汚くて読めないので、言いたい事や質問がある場合はキレイな字で書いてください。よろしくお願いします。」


と、返答される伝説がありました。

まぁ、ね。
さすがにどうにかこうにか読めなくはなかったんですが、”礼儀がない”というか「お読みいただいてもよろしいでしょうか?」という、「少し丁寧にものを言うのと同じ気持ちがあなたにはありませんね。」と言われているようで、可哀想というか情けないというか、笑えてしまうというか、見ているこっちもフォローしようがない状況になんだか言葉も出なかったです。
ちなみにかなりの”おじさん”でしたし、一応僕がいちばん下っ端だったのでフォローも何もできないんですが、そうやってノートに書かれると指摘がノートに残るので、見る度に悲しい気持ちになっていました。

ただ、僕はひとにそんなことを大きい口では言えないもんで、研修用の問題用紙に絵を書いて勉強していたら、「もっとマジメに研修を受けなさい。」と叱られた経験があるんですよね。そのことについてはまた考えたいことがあるので、また次回考えるとして…


ひとに大事なことを伝えたりする時に、”字はキレイに越した事はない”という事なんですよね。
伝えるという動作に、「伝わりやすい」のは必須だと言っても良いんじゃないでしょうか。


伝わりやすい表現だな、これからの僕は。

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