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先に何を決めていこうか

この先どうやって、何をして生きて行こうか考える時があります。
たまにはゆっくりと“この先のこと”について考えるのもいい事です。

さてと。
僕はどうやって生きていくんでしょうかね。
それは誰にもわからないことですし、自分にもどんな風にして生活が進んでいくのかわかりません。
先輩にもわからないし、職場の上司にもわからなければ占い師にだってわかるものでもありません。
わかったところで自分が何をしていいのやらと思いますし、何もしなくても事は進むのかと言われるとそうでもないんですね。



僕は引っ越ししました。
何が変わるわけでもありませんが、何かを変えなければいけないような気もします。
引越ししても同じ気持ちや同じスタンスで生活できるかというと、そうでもありません。
できることが制限されたりすれば、心も体も窮屈になると思いますし、はたまた開放されると、ストレスの無い状況に心が躍動したりするものです。

そう考えると、住む場所や部屋のレイアウトだったり、それこそ住んでいる街の様子は重要な事柄なのかもしれませんね。


よく、物語に出てくる辺鄙なところに住んでいる仙人のようなおじいさんは、だいたい無口ですよね。
おばあさんはいつもキレそうだったりもしくは怪しげに若者を誘い込んできます。こわやこわや。

おそらくですが、ひとりで暮らしているがゆえに、喋るという人間の機能を失ってしまいつつあるのかもしれませんし、外部の人間に違和感やイライラを覚えているのかもしれません。人恋しくなってしまっていて、ネチネチと若者を誘い込んでいるのかもしれないです。

そうです。
どれもこれも、住んでいる環境ゆえに“ひとらしさ”を失ってしまっているような感じです。


また違うひとの例えで言うならです。
物語のキャラクターは、その建物のイメージに合ったキャラが登場しますよね。
研究所なら博士と助手が出てくるし、暗い色の家には汚い浪人生っぽいひとが出てきます。
高級なでっかいお家からは金歯でガチガチの高級スーツを着て葉巻を咥えたキャラです。ラーメン屋さんっぽいところだと中華オヤジが出てくるし、カラフルなお屋敷からは頭のパッパラパーな女の子がひょっこり出てきたりします。


自分だって同じですよね。これは自分にも言えることではないでしょうか?
自分にだってそれと同じような偏屈な変化が起こりうるのです。

だから、自分に合った場所に住んだりするよりも、「場所に合わせた自分になる」という変化もそれまたおもしろいのです。

それを言い出すと…今ふと謎が生まれました。
家の変化は生活の変化でもあるのなら、「食の変化」で自分の健康を変化させて、気分や心境、服や行動も変化させることが可能なんじゃないでしょうか?

だいたいのひとが金銭状況で食を選びます。
そこを前もって食から選んでいけば、金銭状況を介して体調や生活が変わってくるはずです!なんなら聴く音楽だって何かに作用するんじゃないかな?
人体実験でもしてみようかな。


無理のないチャレンジを、これからの僕は。

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