キレイにしていることは元気になるための第一歩

雨で気持ちが沈むってことがあるけど、もっともっと気持ちが沈むことって身近に存在しているような気がするね。

逆に心が晴れるってどんな時なんだろうか?と考えると。


・オシャレなカフェに行った時
・ちょっと良いものを食べた時
・仲の良い友達との会話やお出かけ
・荘厳な自然を見る時
・キレイで見晴らしのいいホテルで泊まった時
・新しい服を買った時

そんなところだろうか。



僕が経験した中でいちばん過ごしやすい家ってどんなところだったというと、強烈にたくさんの物を捨てて手放した後に引っ越した時で、部屋に何もない時の部屋だった。あとで寒すぎてベッドを買ったけどね。

どれくらい物がないかっていうと、冷蔵庫、棚、食器、はもちろん無くて、その他衣服や靴なども、ひとつのリュックに入れられるくらいのものだけ所有していた。なんなら掃除機もなければテレビも無い。ほとんどホテル以下の生活をしていた時だ。

その頃はその頃で不便だなと思うこともあったのだけど、そんなのはストレスのうちに入らない。その分、物をたくさん持っている時に比べると気持ちの中の清々しさみたいなのは大きかったと思う。


中には広いカフェのような家に住んで、植物のあるような庭がある家で、友達を呼んでお茶したりできたら良いなぁと思う人がいると思うんだけど、そんなのは莫大なお金がかかってしまう。
というのも、結構なたくさんの人がそういう生活に憧れているために、大きく需要があるからだと思うんだ。需要があれば売れる、売れるとなれば安いとしょうもない。そこにはちゃんとお金を支払おうという寸法なわけだ。



話が別の方向に行ってしまったが、つまりそういう理想の清潔な生活から離れてしまうと途端に、気持ちが荒んでしまうというわけである。

だから、その何も無い部屋で思ったのな。


何も無いという生活なら、こりゃホームレスとなんら変わりないかなと。
僕には最低限の服と、そして雨をしのげる屋根があり、決まったところに帰ってくる事ができる。それだけだけど、ほとんどホームレスみたいな生活をしているな。とね。

変な言い方をすると、首の皮一枚でつながっている準ホームレスだな。なんて思っていた。
ただ、そんな生活をしていると辛くなってくるのが家賃と、そして税金だ。自分のためにはなっているとはいえ、きちっと支払っているとマジでこっちは死んでしまう。もしくは切り詰めた生活を強いられるようになる。

人間らしい生活をしたいと望むと仕事が必要で、仕事をするには家が必要で……。となるが、家を借りて仕事をしだすと途端に、人間らしい生活からは程遠いものとなってしまう。変なの。

そんな中でも、僕はホームレスではないという意思表示みたいな物が必要である。
それが清潔さだった。生活が荒んだものにならないようにするためには人からある程度認められる必要がある。認められるためには清潔であることだ。


どんなにお金がなくとも、どんなに生活に困ったとしても、キレイにしていて臭くないように、そして穴の開いた服とか靴下、それにヨレヨレになったシャツや、どうやったらこんなに汚れるんだろうと思われないような靴。そういうのが必要になってくる。

買うものは中古が基本。だけどちゃんとキレイなものを使おうと決める。そして洗濯するし、よれてきたら捨てる!そして買い換える!それが僕のポリシーだった。

そうしていると、底辺ながらにキチッとした生活は保たれるし、異性から嫌がられるようなことも全くなかったと思う。


人と気持ちの良い関係を築きたいと思っているなら、まずは自分が気持ちの良い人になる必要があるんだなとそう思ったという話。

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