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安い人になる

癒しを作る人のことについて前回は考えた。

癒しを“受けてばかり”だと、もしかすると自分は益や癒しどころかストレスを与えかねない。
最低限自分だけでも自分で癒せる能力があってもいいと思った。

じゃあ。

具体的に挙げるとなんだろうか?
僕の友人にはコーヒーを作る人がいて、豆を焙煎して自分個人の焙煎具合でオリジナルを作ったりもしている。
あとはおやつを作る人だったり、かわいいぬいぐるみを作る人、アクセサリーを作る人もいる。お菓子をひたすら食べる人もいるし、ジャンクフードを食べまくる人もいる。

可愛らしさとか美味しい物、あとはいい匂いなものって、知らないうちにほっと癒されているものだ。
自分でそれを作り出して“自分も癒されている”のだろうが、他の人にもそれを分けてくれて、こちらにも癒しを与えてくれるのだ。


前回の記事で言いたかったのはこれで、本来なら自分で自分を癒す能力があると他人からエナジーを吸い取るようなマネをしなくてもよくなるんじゃないかって思ったのよ。


これは気持ちが常にネガティブな人にも言えるんではないだろうか?
落ち込みがちで、ふさぎ込みがち、殻に閉じこもる人…。

ネガティブでクレームが多い人というのは一概にして“足りないところを見る傾向”がある。
僕にもそれはもちろんあるが、そういう生き方をしているとそれが癖になって身に付いてしまうもの。そうなると、そこにあるもの、提示された値段、現状、などにクレームばかり言うようになる。

それってけっこう嫌われることよ。
何にでも文句やクレームを言うと、周りの人は疲れちゃうから。

もちろん現状に満足してしまっては発展させられるものも大きく発展できなくなってしまうが、ここではそんなことが言いたいわけではなくて。
値段以上の癒しを求めるとクレームが多くなるような気がする。
自分が何に癒されて、どれくらいの値段のもので満足するのかと、「よく自分の事をわかっておく必要があるんじゃないか」と思ったわけだな。
お腹いっぱいに高級ステーキを食べて満たされることと、どんぶり一杯の納豆卵ご飯で満たされることは、違うものなのかも知れないが「お腹いっぱいになる」という効果は全く同じことなのだ。目的は同じでもどうやって達成されるのかだ。


全てが完璧でないといけないと誰も言っていないし、全てが完璧でないと癒されないとも言われていることではない。
そう決め込んでいるのは自分だけだったりするのではないだろうか。


どうでもいいことに文句を垂れて“自分はそれでは癒されない”と決め込んでしまっているわけよ。


これは言うなれば、晩ご飯を作ってもらったのに塩辛いだの量が多いだの、色味が足りないだのと、欠点ばかりを感想として言うことに似ている。

そうなるとどうなるかって?
そんなに文句があるなら「じゃあ自分で作りなさいよ」となるのがオチである。


ほらな。自分で自分を癒すチカラがあれば、何も文句はないわけよな。

自分が何にお金をよく使っていて、自分でもそれができるかどうかやってみて、もしそれが達成できるなら安く誰の手も借りずに癒されるわけなのよな。



自分のイライラを人にぶつける人が多いなと思ってくどくど考えてみたわけよ。

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