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楽しさのカケラとは

最近ぐっと寒くなってきた。

寒くなるとあったかいコーヒーが身にしみる。
コーヒーの事には全く詳しくは無い。どう味わっても「苦い」か「酸っぱい」かしかわからないのだな。

となると、自分の舌の信ぴょう性が疑われる。
自分でも料理する、「ひとの口に入れるものを作る」ということをしているから、味がわからないということを言いたくないのだ。
「味がわからない」ではどうにも納得がいかない。自分もそうだし、ひとに話してもそうだろう。「それって大丈夫?」なんて心配されたりもするだろう。

自分が何かの病気か何かと疑ったりもしたのだけれど、べつにそういうわけでもないし、全く味がしないわけでもない。

つまりは、甘い辛いはわかるし、苦いとか美味しくないというのは理解できるのだ。
ただ、細かいことがわからなかったり仕組みがわからないままだと「美味しいの探求」はできない。

美味しいものは美味しい。で終わってしまう。美味しいものをさらに美味しいかどうかと、また違う美味しさを探求することを確かめて云々言うことは可能なのだけれど
、コーヒーに関しては違う。まったくわからないのだ。

それを「うんぬん言うひとがいる」わけだし、そういうサークルやクラブもあるわけだ。恐れ多いに越したことはない。自分も教えて欲しいのだけれど、わからないのでは、教えようがない。

僕も何がわかっていて何がわからないのかわからないのだ。そうなるとどこからどこまで教えてあげれば良いのかがわからない。なにもかもわからない!

でも。
それを「苦い」か「酸っぱい」かとわかればいいよ。と言ってくれるひとがいるってことは、すごくいいことである。

わからないことを、「わからないままでいいよ」と言ってくれる優しさは、楽しい。

そういう、今はわからなくても、やっていればなんとなくわかってくるし、楽しくもなってくる。急激にわかるものでもなければそうする必要もない。という少しずつ楽しむ「楽しさのカケラ」を拾い集める作業ができれば、そのうち、ちょっとずつちょっとずつわかる幅が大きくなってくるものだ。

「楽しい」をずっと楽しめる優しさを持とうこれからの僕は。

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