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『聖地には蜘蛛が巣を張る』

イランで実際に2000〜2001年に起きた娼婦連続殺人事件を基にした物語。事件を追うジャーナリストのラヒミと犯人サイードの2つの視点で進む。

サイードには妻子がおり一見害のない人物に見えるが、その信仰深さ故に娼婦を、聖地を穢すものとみなして16人もの命を奪う。そこにあるのは使命感のみ。罪悪感や殺人による興奮や快楽もない。そこがより恐ろしい。彼個人の問題ではなく、宗教や習慣、文化によって形成された価値観がそうさせているのであり、ということはその社会に属する誰もが殺人犯になる可能性があり、その社会では正当化されうる殺人になってしまうからだ。実際、彼が逮捕されたあと、世間はサイードを「街を浄化させた英雄」と讃える。

ラヒミはミソジニーがはびこるイランでジャーナリストとして事件を追う。前職では上司から関係を迫られ、それを告発するとクビになり、今回の事件で取材をした刑事からもセクハラ(こんな言葉で済ませたくはないが)を受ける。まじでどいつもこいつも女を下に見てんな、と嫌になる。程度の違いはあれど、日本にも通じるものはあると思う。女性が1人で何かをしようとするとどこかで壁に当たる。ラヒミは冒頭、予約したホテルにチェックインしようとすると「未婚の女性か...」と一旦断られるがジャーナリストだと証拠を見せると渋々承諾される。未婚女性だというだけで外泊もままならない。

イスラム世界では女性は髪を覆わなくてはならない。髪は男性の性欲を刺激するものであるから。イスラム教が分布している砂漠気候では水が貴重で、水を消費する人間を不用意に殖やさないようにするために女性の髪や肌、ボディラインを隠す服装をさせるというイスラム教の決まりは理にかなっていると何かで見た。宗教は文化と切り離せないものであり、イスラム世界ではその宗教から生まれた女性蔑視をなくすのは本当に難しいんだなと痛感した。

この映画で最も恐ろしいのは、サイードの息子アリだ。サイードの死刑が決定しても、まだ中学生くらいの彼は父の思想を何の疑いもなく受け止めて、周囲の「父親の後継者になれ」という言葉を実現させようとしている。問題の根深さを見せつけられた。

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