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『サタデー・フィクション』

中島歩が出ていると知り、それ以外の情報はほぼ入れずに鑑賞した。中島歩はやっぱり演技がとても上手い。作品ごとで、その演技の「演技っぽさ」のチューニングが上手いのだ。周りと演技の方向性で浮くことがなく、かつ存在感を確かに示している。

お話の流れとしては、劇中劇により入れ子構造になっており、外側と内側の物語が一致する瞬間は見事だった。群像劇とまではいかないものの、登場人物が多く入り乱れているため、前半が少々その説明に割かれてしまった感は否めないけれど、ユー・ジンがフレデリックと再会し本格的にスパイとしての活動を始めたあたりから目が離せなくなった。去年観た『リボルバー・リリー』で感じたもやもやをすべてこの映画が拭ってくれた気がする。同じ女性スパイものだけど、満足度がまるで違う。

登場人物たちは、自分の意思よりも、国家のために行動をしている。そこで異質な存在になるのが、タン・ナーだ。彼はユー・ジンの恋人であるが単なる演出家で彼女が任務についているとはつゆ知らず、自分の舞台のためだけに彼女が上海に来たと思っている。後半は私の脳内で「またしても何も知らないタン・ナーさん」と有名な大泉洋の画像が脳裏にちらついていた。

ユー・ジンは養父のためにそれまで任務をしてきたが、最後の最後でそれを裏切るような行為をする。初めて、国や政府といった大きなものよりも自分を優先した行動をした。正直私にはなぜ彼女があのように行動したのかまだ分からない。スパイという身分から離れて、ただのユー・ジンとして愛する人の隣にいたかったのだろうか。それもニーチェの言うところの虚栄心になってしまうのだろうか。

劇中でもエンドロールを眺めていても気づかなかったのだが、主演のコン・リーは名前を聞いたことがあると思ったらあの『さらば、わが愛/覇王別姫』に出ていたあの人なのね。年齢を見たら還暦も近くなっていて、とても驚いた。相手役とは20歳ほども離れているけれど、そんなこと全く分からなかった。

タン・ナーの友人のモー・ジーインは基本的に姑息で邪悪な奴として描写されるのだけど、日本人にタン・ナーを救うことを乞うていて、こいつにも友を思う気持ちはあったのか…と少々複雑な気持ちになった。友達思いだからといって彼がバイを犯したことが許されるということでは全くないが、戦争がなかったらこの二人は良い友人だっただろうにと思った。

本作は基本的に創作なのだと思うけれど、当時の上海の混沌とした状況、自分よりも国家という考え、常に何かに抑圧されているような空気感はリアリティのあるものだったのではないか。映画音楽を排除し、流れるのは舞台上での演奏だけ。色も音楽もなくしたことで、そうした空気感が直接伝わってくるような感覚がした。


あと、これは多分気のせいだと思うけれど、古谷が上海の通信員?たちに暗号が変わったことを説明するシーンで、古谷が部屋に入った直後に「敬礼!」と号令をかけた一番手前にいた男がFUJIWARAのフジモンに見えた。そっくりさんだったのかな。

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