見出し画像

猫なら居なくなっても大丈夫かもと思って観た映画

210302-40

学生の頃、バイト先の有線放送で流れてた曲が気になって調べたらある映画の主題歌だった。その映画は『世界から猫が消えたなら』という佐藤健、宮崎あおい、濱田岳らが出演していて気になってはいたが、何となく放ったらかしにしたままでいた。Amazonプライムで商品を頼んでしまったため無料期間が終わるまでの機会に、鑑賞しておくことにした。

どうでもいいかもしれないが、根っからの犬派である自分にとって世界から猫がいなくなったらどうだろう…と考えても、どうだろう…どうだろう…とピンとは来ず、出題者の欲してるであろう答えは即座に出なかった。映画の中では残り少ない自分の命を伸ばすため、代わりに電話や映画、時計を消していくのだが、ただその物だけが消えるのではなく、それに関連する思い出も一緒に消えてしまうというものだった。彼女と話していた電話と電話にまつわる思い出も一緒に消えたり、親友に薦めてもらった映画とその共有したストーリーも消え、主人公は自分の命と引き換えに大切な思い出が消える辛さを膨らませていった。

僕自身、猫を飼ったことがないからだろう。ゴミの日に住宅街を荒らし回るイメージを捨てて、飼ったことがあるインコに置き換えてみよう。インコが居なくなったら…凄く寂しい。インコが病気で死んでしまった日のことは今でも思い出すと辛い。しかしインコと過ごした思い出は今でも覚えている。家族とは未だに死んだインコの話がたまに出る。そうか、ヒトやモノはいつか無くなってしまうけれど、誰かが覚えてくれていればその人の中に生き続けているんだと思った。例え僕が今死んでも悲しむ人がいたり、僕との思い出を共有した人がいれば僕が昔生きていたという証明にもなるし、僕はこの世界に居ないけど覚えてくれている人の中で僕は生き続けられる。

人はいつか死ぬ。当然僕も死ぬ。だから生きているうちにひとつでも多くの思い出を作って、この世に生きていたという証明を残していこうと思った。そうする事で僕は将来死んでもこの世に生き続けられると思った。人と話したり思いやったり、生きていて当たり前にすることが自分が生きていた証になると思うと明日からの行動のひとつ一つが変わっていくだろう。

あと、映画を観て濱田岳の良さを知った。知り合いから濱田岳に似てると言われて反応に困ってしまったことがあった。auのCMに出てるくらいのイメージしかなかったが、ああいう感じの友達が欲しいなと映画を観終わってふと感じた。今の僕なら濱田岳に似てると言われたら即座にありがとう!と言うだろう。

(敬称略)

絹掛


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?