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【朔 #115】一日が引き延ばされている

 どうも、私の中で一日が引き延ばされているらしい。いつ朔を更新したのかも曖昧になっていた。ということで、115回目。
 京都へキュビスム展と河野裕子の墓参りに。
 キュビスム殊に分析的キュビスムにおける生まの質量感とクレーの情感を比較してみて、ごろごろとした詩情は存在しうると判断した。未来派まで行くと違ってくるのだが、ブラックの作品に宿る対象化の先の憂愁に感じるところが多かったらしい。
 河野裕子の墓、その途中の蝸牛、その途中の紫陽花、その途中の藻、藻、藻──。古い釘を抜くような、八月の声が、聞こえてきていた。十分ほど、動けなかったのは、背後、の微笑み。
 ダイヤ大混乱の末になんとか帰宅して作ったノオトには「蓬火」と最後に書かれた。その熱が、私の夏の終焉まで、一日を引き延ばす。

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