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帛門少年のトラウマと夢の話

 保育所の頃、帛門少年は大変手の掛かる子でした。腕白だとかそんな可愛げのあるものでなく、まさに問題児。問題を起こしてばかりでした。よって、よく叱られたり、殴られたりしていました。最近、懲罰権の見直しが検討され始めたとのことですが、当時は躾の為に殴ることなど当然でした。
 しかし、帛門少年は何も学びません。暴力に恐怖を感じなかったのです。怒鳴られようが、叩かれようが言うことを聞きません。さて、親は何を考えるでしょうか。
 皆様は『呪怨』という映画をご存知ですか。あのJホラーの代表作です。そのDVDパッケージには、画面いっぱいに劇中に登場する霊「俊雄」の青白い顔が写されています。
 何故そうなったのかよく知らないのですが、帛門少年は「俊雄」に強烈な恐怖を示し、DVDパッケージを見せると泣き喚くとのことでした。また、『呪怨』を観ることについても嫌がったことから、恐らく家族の誰かと観た時に恐怖を覚えたんでしょう。
 暴力が駄目なら、別の恐怖を利用しよう。このように親は考ました。よっていつの頃からか、帛門少年を脅す時にはこのパッケージを使うようになったのです。
 勿論、お化けは怖いでしょうが、それにしてもあの頃何故あんなにも怖がっていたのか分からないくらい怖がっていました。親がそれを持ってきたら、炬燵の中に隠れたり、泣きながら謝罪したり、必死に逃げ回ったり、とにかく見たくありませんでした。
 明らかに帛門少年にとって『呪怨』、殊に「俊雄」はトラウマになっていました。


 幼い子の夢というのはあまりバリエーションが豊かではありません。まだ狭い世界の中で生きていますから、夢の構成要素に乏しいのです。
 帛門少年が小学校に入るまで繰り返し見ていた夢があります。

 私は実際に当時住んでいた家で、現実と同じく親と川の字で寝ています。すると、その部屋の襖が開き、暗い廊下から俊雄がやってきます。そして、寝ている私の腕を乱暴に引っ張ります。親は寝ていて気付きません。抵抗するのですがどうにもならず、廊下に連れ出されて、すぐ隣の物置部屋に連れて行かれるのです。壁に密着させてあるラックにはCDやアルバムなどがあり、ハンガーに掛かったたくさんの服が吊るされ、玩具やぬいぐるみもこの部屋にありました。部屋の真ん中に着くと俊雄は私の方を向き、「ニャーーー」と猫の鳴き声を発します。同時に空間が歪み、私はその歪みに吸い込まれてしまいます。

 こんな夢を繰り返し、ほぼ毎晩見ていたのです。
 勿論、多少夢の設定が違ったりします。以下に思い出せる限りの特殊設定を挙げていきます。
・寝室のテレビが点いている。
・襖がそもそも開いている。
・俊雄が「祭」と書かれた法被を着ている(イッテQで宮川大輔が牛乳を飲んで走る祭りに参加したのを見た日曜の夜)
・起きている母に大声で助けを求めるも助けてくれない。
・起きている母に助けを求めると母が助けてくれる。
・俊雄が来ると私がすんなりついて行く。
・物置部屋の中に入ると見知らぬ子供が既に居る。
・空間の歪みが発生せず、ずっと俊雄の声を聞かされる。
・基本一人称視点だが、時々定点カメラのような視点になる。
 これらの設定が組み合わさることもありました。しかし、ほとんど同じ夢を見続けました。そんな帛門少年は部屋の襖を開けたままでは眠れなくなりました。暗い廊下が見えていると、不安に駆られてすぐに閉めてしまうのです。春から夏へ移る時期、風を通していれば涼しい夜も、帛門少年が襖を閉めてしまうため、我が家では他よりも早く冷房が稼働していました。
 襖を閉めていても夢は見るので、時々寝るのが嫌になります。夜型人間の誕生です。布団の上で何時間も眠れないこともありました。
 小学校に入るとその夢の頻度も少なくなっていきました。それでも、小学校高学年までJホラーは苦手でした。
 中学校に上がる頃、家の大掃除を母が始め、「これはもういいか」と言いながら、『呪怨』を廃棄していました。既にこのパッケージを使わなくなって久しくなっていたからでした。
 実は、今でも私は扉を開けたまま眠ることができません。


 今では怪談実話と創作怪談を書き、日々もっと怖い話は無いかと人々に訊ねている帛門臣昂の知られざる過去でした。
 この話夢に関する様々な説で説明がつくことが多いです。(夢研究はまだ完全ではなく、寧ろ心理学研究の対象にするのも嫌っている学者もいるくらいですが)トラウマ、無意識にまで及んでいる恐怖が夢の中に反映されること。イッテQを観た夜に俊雄が法被を着ていた例はまさしくその日見た物、記憶の整理をしている最中に夢を見るのではないかという説に当て嵌まります。フロイトの『夢分析』を読んでいると、私の夢について言及しているとさえ思われる記述もあります。
 ただ、少し気になっていることが二つ。勿論、夢研究の専門家からすれば容易に説明がつくことかもしれませんが……。
 まずは、物置部屋に入ると既に見知らぬ子供が立っていた例。本当に全く知らない子なのです。この夢を見続けていた期間は夢の中に出てくるのは川の字で寝ている家族と俊雄だけでした。それは一つの夢を見続けることとも関連して、狭い世界の中で生きているということが理由と考えられます。朝起きて、保育所に行き、帰り、寝る。この繰り返しです。人間関係はまだまだ閉鎖的であり、知らない子供が出てくるのはよくわからない。
 一応、無意識というのは無差別に記憶を一時収容しますから、道ですれ違った人の顔なども覚えているらしいのです。無差別に取り込んだ情報の取捨選択の過程で見るのが夢であるとも言われています。テレビか何かで観た子役なのかもしれません。
 二つ目は、視点の変化です。基本一人称視点で見る夢ですが、時々、天井に備え付けられた定点カメラのような視点になることや、誰かがカメラを回しているかのような視点になることがあります。つまり、私の視点でも、俊雄の視点でもないところから自分達を見ることがあったのです。
 当然ですが、天井から部屋を見たことはありません。そうなると、何の視点で帛門少年は夢を見ていたのでしょうか。

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