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古墳と共にあるまちのこと。

百舌鳥・古市古墳群」が、世界文化遺産への登録が妥当との勧告を受けました。長年の登録への運動がついに身を結んだということで、大阪で初の世界遺産ということもあり、(どこまで盛り上がっているかは定かではないですが)関係者の方の喜びはひとしおではないかと想像します。

ついこの間、古墳を訪ねる機会がありました。すごく久しぶりで、実は、古墳群にまつわる仕事も過去にやってて、いろいろと思い出していたので、今日はそのことを書こうと思います。

古墳とその周りの環境を守る・・・といっても

世界遺産の登録には、その資産が人類共通の普遍的な価値を持つというのを証明することが必要ですが、それとあわせて、資産が適切に保存管理できるかどうか、その周辺の環境も含めて保全ができるか、が要件となっています。

この古墳群で置き換えれば、「古墳を適切に保存管理できるか」「その周りの市街地で調和を図ることができるか」ということになります。

前者は、国の制度でいう「文化財保護法」の範疇で、いわば「構成資産」の凍結的な保存という形。現状のまま、あるいは過去の状態にできるだけ近づける形で保存する、というものです。過去の資料や発掘調査等を経て、改変の無い形で保存をしていくことが基本です。

厄介?なのは後者。「緩衝地帯」という考え方があります。「構成資産」を取り巻く環境を含めた保全を図るというもので、「バッファゾーン」とも呼ばれています。ちょっと専門的ですが、こちらに詳しく書いてあります。古墳と、その周りの一体的な環境を、しっかりと保全しましょうということです。規制・ルールを定め、コントロールすることが求められています。

しかし、古墳は残っていますが、誤解を恐れずいうと、古墳の周りは普通の住宅地になっています。「古墳と一体的な環境って、どういうこと?」という問題が発生するのです。

写真は、百舌鳥古墳群と周りの様子(Google Mapより)。古墳は綺麗に残っているのが確認できますが、その周りは宅地化が進んでいる様子がお分かりいただけるかと思います。

そこで、「古墳と一体的な環境を保全する、といっても、どこまでなの?どうしたら保全と言えるの?」という素朴な疑問が湧き上がります。これは非常に難しい問題です。

緩衝地帯をめぐる難しさ

結論としては、下記を参照いただいたらよろしいかと思います(下記は堺市の資料ですが、羽曳野市・藤井寺市も同様の考え方)。

百舌鳥古墳群の緩衝地帯の保全について
https://www.city.sakai.lg.jp/kanko/rekishi/sei/ayumi/bufferzone-setsumeikai.files/setsumeisiryo.pdf

ここに至るまでの議論を、少し思い出すと、、、

①範囲の問題

「古墳群と一体的な環境をなす」範囲を、どのような根拠でもって設定するのか、は非常に悩ましい問題でした。

例えば、姫路城は、城郭の範囲が濠で明確に規定されるので、城と一体的な環境をなす範囲は決めやすい。一方、古墳群は、古墳そのものの範囲は明確も、その周りという概念はそもそもありません。ですので、新たな考え方を設定する必要がありました。

古墳に接している宅地は、なんらかの形で配慮が求められそうだな、というのは想像が付きますが、それでも「なぜそんなことしないといけないの?」という意見が出ることもあり得ると思います。

もっとややこしいのは、古墳「群」なので、「群」としての一体的な保全を図るべき、という話です。現在は住宅や店舗が立ち、道路も整備され、群としての一体性を感じにくくなっています。その中で、古墳群としての範囲を決めることは非常に難しい問題で、ここはかなりの議論となったことを思い出します。

②保全の中身の問題

範囲が決まったとして、次に、「古墳群と共存するというのは、一体どういうことなのか?」という問題に直面しました。

例えば、古墳の周りに、古墳群を眺められる高層マンションが建つ、というのは、古墳群を取り巻く環境を害しているように思われます。また、とても派手な看板が掲出されるのも、どうかな?という気分になります。

しかし、「古墳群と共存した市街地は、こういうものだ!」という明確な目標像があったかというと、そういうことはあまり意識されずに今日に至っているのが、正直なところだと思います。配慮するといっても、こうすべきという判断基準がない状態なのです。

結果として、

・古墳の高さを超える建物は抑制する(高度地区)

・古墳のある環境に著しい悪影響を与えるような意匠の建物・広告物は抑制する(景観地区・屋外広告物条例)

に落ち着きました。

古墳群と共にある環境を、創っていく

上記の規制・ルールは、一定の配慮を求めるものだと思います。いわば、節度を持ちましょうというもの。

私は、古墳の価値を認識しつつ、これから、周辺も含めた良好な環境を、創っていくことが、大事なのかな、と思っています。例えば、古墳と共にあるまちということが、ステータスになる。古墳のそばに住むことが、誇らしく思える。

悩ましいのが、古墳は存在は認識できても、入れない古墳が多いことです。ですので、生活の中での実感は湧きにくいし、存在にありがたみを感じることがなかなかないかもしれません。でも、古い時代に、こんなに大きな遺構が側にあっても、全く無視されていたとは考えにくく、遠い昔に思いを馳せながら敬っていたと思いますし、なんらかの生活上の関わりがあったのではないかな、と思うのです。

今でも、古墳の周りは、ウォーキング・ランニングコースになっていて、古墳のこんもりとした緑を感じながら楽しむ方もおられるのではないでしょうか。そういう楽しみ方をするにふさわしいまちのあり方を考え、創っていくのも、ひとつのアプローチかと思います。それが、まちの愛着の醸成・ブランティングに繋がるというのも、大事な都市経営の戦略だと思います。

次に書くとすれば、「では具体的にどうすれば?」というところを考えてみたいと思います。

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