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能に遊ぶ

先ごろ、高松市で開かれた『かがわ能楽講座 ~日本の伝統芸能・能楽を楽しもう~全6回』の第2回「ワキ方の魅力 謡を楽しむ」に参加しました。

講師は安田登さん。ワキ方下掛宝生流の能楽師として国内外で活躍し、能の手法を生かした作品の創作・演出・出演を行うなど多智多才な方で、著書も多数。古事記、論語などの古典に描かれた“身体性”を読み直す活動もつづけていらっしゃいます。
能好き、かつ古典文学好きのわたしは、日頃、安田さんの多方面にわたる仕事から刺激を受けています。とりわけ「TED×Seeds 2010」で安田さんが夏目漱石の『夢十夜』(第三夜)を舞ったプレゼンテーションは印象的でした。

舞を終えたあと、かつての日本人は「視覚に頼らず見る力」を備えていたとし、失われつつあるその力は能を通じて取り戻せると語った安田さん。
能を鑑賞するたびに、「目の前にない世界を見る」経験をしてきたわたしは、安田さんのプレゼンテーションを見て「その通り!」とひざを打ちました。
そういうわけで、今回の講座を心から楽しみにしていました。


そもそも、わたしが能に関心を持ったのは17歳のとき。高校の古典教材で平家物語「忠度の都落ち」の章段を読んだことにはじまります。
下校前、ひとりだけになった静かな教室で友人を待ちながら手すさびに教科書をめくっていたところ、なんとなく手が止まったのが「忠度の都落ち」でした。ふしぎなほどすんなりとその世界に引き込まれ、薩摩守忠度の歌人としての熱い想いと武人としての潔い姿に思いがけず涙したことを憶えています。
その日から「忠度の都落ち」以外の章段にも興味が湧き、能には平家物語を題材にした演目が多数あると知りました。また、当時好んで読んでいた泉鏡花の小説の中に能仕立ての作品があったことも呼び水となり、ぜひ一度能を観てみたいとおもうようになったのです。

念願叶ったのは、それから数年後のこと。
平家物語を題材にした演目ではありませんが、安芸の宮島・厳島神社観月能という最高の舞台で、『天鼓』を鑑賞する機会に恵まれました。

事前に物語の運びを予習していたものの、能独特の詞と節による謡(うたい)はほとんど聞き取れず。それでも部分的に拾えたことばを一つひとつ手繰り寄せると、ハッとするほど鮮やかなイメージが脳内に現れて心底おどろきました。
なかでも舞台後半、帝の命令に背いて処刑された少年天鼓の亡霊が現れ、鼓と戯れながら舞う場面は忘れられません。
亡霊が舞うという現実ばなれした状況に戸惑いつつも、水辺の冷やりとした空気や空に浮かぶ月、美しい鼓の音、軽やかな舞姿といった繊細な情景を五感で感じることができたのです。まるで、目の前で起きた現実をこの目で「見た」かのように。
ごくわずかしか聞き取れない謡、独特な調べの囃子、削ぎ落とされた舞台装飾。すべてが抽象的でありながら、亡霊が舞う姿が最新のCGやVFXを駆使した映像よりもはるかにリアルな肌触りで目の前にあらわれる――わが身に起こったふしぎな出来ごとに理解が追いつかず、終演後は席を立つのも忘れて茫然とするばかり。近くの席の女性が「超人的な舞……」と熱っぽく語る声と、舞台終盤の「うつつか夢か……」の謡が、今でも耳に残っています。
TEDで安田さんが語った「視覚に頼らずに見る」、その通りの体験でした。
以来、鑑賞体験を一つひとつゆっくり積み重ねながら、能を見つめつづけています。


今回参加した講座で安田さんが披露したリーディングのひとつが、奇しくもTEDと同じ『夢十夜』でした。
暗い道、降る雨の冷たさ、背負う子の重さ……怖いほどリアルに感じられて、なんとスリリングだったことか。
『夢十夜』は、2007年に10名の日本人映画監督によってオムニバス・ムービー『ユメ十夜』として映像化されていますが、五感を呼び覚ますという意味では、安田さんのリーディングのほうが漱石の世界をより強くつかまえているように感じられました。

脳内にはっきりと立ちあらわれる夢うつつの世界を掴もうとして、次々と五感が開かれてゆく。こんな体験はなかなかありません。
わたしにとって能は、目の前にはないものを見る力を呼びさましてくれる、wonderに満ちた奥行ある芸能です。古典であると同時に、まだ知らぬ世界、つまり未来でもある。今回の講座を受講して、あらためてそう感じました。

今はまだ能の入口からその深みを覗き込んでいるだけですが、生涯を通して能という豊潤なギフトをめいっぱい味わいたい。こころとからだをあずけて遊んでみたい。そうおもっています。

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