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夢の中の3番目の彼

大学の図書館。何も変わらないようで、きっと何かは変わっている。その時の私にとってそこは現実だったけれど、目が覚めた私にとってはそこが夢だったことに気付く。隣で恋人が寝ていた。

5時に閉館します。と受付にいたスタッフの声が館内に渡った。中にはそれなりに人がいて、私は一人で入り口横の本棚を見ていた。
そこは卒業生が出した本が置かれている場所だったはずだが、夢の中では違うようだった。
そこに意味を見出そうとするなら、きっとこうなんだろう。
卒業後、専門としていた文章の仕事に私は就くわけでもなく、そういった友達との縁があるわけでもない。こんな私には、大学を卒業して残したものは何もなかった。関係のないことばかり、今の私にはある。そんな事実と気持ちが私の心にはあって、夢ではそれが映し出されたんじゃないだろうか。
しかし、これに対して私は悪いとは思っていない。確かに、勉強した分野の仕事に就くことは素敵なことだと思う。学費を出してくれた両親への親孝行にもなるはずだ。

「文芸を出て田舎の工場に就職するほぼ高卒さん」

前に付き合った彼氏——Eは、会社員になることを嫌がっていた。勤めるとしても大手の企業がいいだろう、という考え方だった。もっといいところ、もっとキャリアアップできるようなところに就職する気はないのかと聞かれたことが何度かある。
私には一切なかった。だから、ないと答えた。それに対してEは不満だったようだ。といっても、私のためというよりも、自分の彼女が田舎の工場の事務員をしているのが恥ずかしかったのだろうが。

一昨年の秋。あの言葉は別れ話の延長で喧嘩をした時に言われた。私はとてつもなく腹が立った。自分の考えを人に押し付けないで欲しかった。
何故、田舎の中小企業よりも大きい会社、都会にある会社に勤めたら偉い?何故、文芸を学んだ後に中小企業に就職したら馬鹿にされる?
もちろん就職試験が難関な会社に入るのは偉いし、すごいことだと思う。就職後、専門の道に進めたらそれは良いことだと思う。
だが、比較して馬鹿にしたり蔑んだりするのは違う。さらに言えば、あなたがそう思うのは勝手だが、それを私に押し付けることはできないはずではないか。

「どうせ暇でしょ、これやっといて」
「することないんだし、送ってくれてもいいじゃん」

Eは私のことや他人のことを見下している。彼のことが好きなうちは許せたし、嫌われたくないという気持ちで怒らないこともたくさんあった。
昼間は片道1時間半かかるEの住むアパートまで送り迎えしたり、平日に彼が食べる分のサラダと味噌汁を実費で用意したり、彼が出かけている間に洗濯物を畳んで洗い物をしたり、様々なことを彼のためにした。

「お前は本当に自分のことしかしないな」

Eが私の家に来ている時だ。自分の分のお昼ご飯を用意しようとしたときにそう言われた。
確かに自分の分だけじゃなく、彼の分も一緒に用意してあげればいい話ではある。
だが、お昼ご飯を用意してもらうためにあなたは私の家に来ているのか?それなら何が食べたいとか言ったらどうなのか?そもそも何故、用意されることが前提なのか?
と、色んな言葉が心に浮かんだ。それなのに、その時の私は一つも言わなかったのだ。後になって私はこの件で怒った。
これは私の悪い癖だ。

そういえば、Eはありがとうと言えない人だった。初めのうちは言われていただろうが、段々とそれが当たり前になっていくにつれ、その言葉は無くなった。
きっと彼にはしてもらっているという気持ちはなかったんだろう。だから、感謝の言葉も出てこなかったのだ。

彼と楽しかった思い出はあれど、悩み苦しんだ記憶ばかりが私にはある。正直、少しながら付き合ったことを後悔している。
もちろん、Rとの交際も後悔したことはあるが、彼との交際には後悔以上のものも多くある。むしろ、彼には謝らなければいけないこともあるのに、それをしなかったこと、これからしないことに後悔がある。

「他の男とのホテル代を出すくらいなら、そいつらに出させて、俺とのホテル代で君のお金を使ってよ」

別れた後も、私とEは恋人未満の関係性を保っていた。それと同時に、私は複数の男性と体の関係を持っており、ホテルに行くことがしばしばあった。
男性の一方的な要望なら男性がお金を出せばいい。しかし、こちらからも望んで体を重ねるのなら、半分ずつ支払えばいい。それが私の持論だった。
Eはそんな私の行動に難癖を付けた。私は苦言を呈した。

「もう彼氏でもないのに、それはどうなの?他の男とあなたの立場は変わらないよ」

彼氏でもない、そもそも別れようと言ったのはあなたなのに、どうしていまさら自分は他の男よりも特別だと思えるのか分からない。それに、どうして他人のお金を自分のもののように考えられるのか。
今思えば、彼らしいと言えば彼らしい。してもらうことは当たり前で、感謝ができない性格。
私は、Eほど厚かましい人と出会ったことがない。

「そんな、最後みたいな顔しなくていいよ。そのうち会えばいい」

私はこの時すでに会うのは最後だろうと考えていた。今付き合っている彼のことが気になっていたし、その人と付き合うような気がしていたから。
アパート近くのいつものコンビニ。煙草を吸いながら、彼が手を振った。あの時、吸っていた銘柄は何だっただろうか。echo、HOPE、JPS……色々吸っていたから思い出せない。
初めて買ってあげた煙草がechoであったことは思い出せる。全体は薄橙で、それよりも濃い橙色と茶色の線が真ん中のあたりに引いてある。彼の手に収まっているのを頭に浮かべながらコンビニへ足を運んだことが記憶に残っている。
レジ前に立ったものも、奥にある棚のどこにechoが陳列してあるのかが分からなくて、手間取った。きっと店員は私が吸うのではないとすぐに分かっただろう。

ばいばい、きっともう会わないね。

心のなかで呟きながら私は彼に手を振った。
私はEと会う度に「彼氏ができたら会わないし、連絡も取らない」と伝えていた。彼は冗談だと思っていたのかもしれないが、私は本気だった。
あれから1年ほど経った。私はEだけではなく、関係を持っていた他の男性の連絡先も削除してしまった。
もう会う気はない。たとえ、別れたとしても。

だから、夢にも出てこないでほしい。あなたに会いたいなんてちっとも思っていない。

「久しぶり」

夢の中で私は、図書館を出てからロッカーが並ぶ4階の廊下へと向かっていた。地下2階から、4階までエレベーターで上がる。
そのときだ。自分の格好が夏用のパジャマにしている薄手のワンピース姿であること、爪先に鉄板が入った工場用の安全靴を履いていることに気づいた。
不恰好でアンバランスで、恥ずかしかった。早く荷物を持って、家に帰ろう。

エレベーターの扉が開いた。

遠くに彼がいる。
俯き気味で私はエレベーターから出る。気付かないで。私のことは無視して。
早足気味でロッカーまで足を進める。
急いで荷物を整理していたら、後ろに人の気配がした。振り返るとEの姿。どうしてまだこの顔を覚えているんだろう。

「絶対来ると思った。」
「久しぶり」
「付き合ってる人いるし何て返したら良いかわからなくて、全部無視した」

その後はあまり覚えていない。目が覚めたら隣に恋人が寝ていて、夢だったのだと安心した。この人が私は好き。もうRにもEにも出会わなくていい。誰かがこれを未練と呼ぶならば、私はRには謝れていない未練、Eには厳しくできなかった未練だと返そう。

言い訳だと言われるだろうか。

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