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嘆きの必至

お盆休み、久しぶりに祖父に会ってきました。

祖父は、御年89歳。
長老みたいな姿を想像しそうですが、ちょっと待った。
うちのおじいちゃんの見た目は、もっと若いです。肌の色つやがよく、しみもしわも少なくて、身内の私ですらマイナス10歳くらいのつもりで会話してしまいます。
特段美容に気を使っているわけでもなさそうなのに。うらやましいです。

話は変わって、私のこと。
二十歳になってしばらくしてから、急に肌の衰えを感じるようになりました。
ほんとに(真顔)。
年上の人からは「まだ早いわよ~」と言われますが、明らかに十代のころとは違うと思います。
あの頃気になっていたお肉はハリだったと気づき、テカテカになるのを必死に抑えていたパウダーはもう必要ありません。
これがエイジングというやつか…… と日々実感しております。

気づけば、「アンチエイジング」の言葉を目で追っている自分がいます。
美容液にクリーム、美容医療。
調べれば調べるほど出てきますね。
世の中にはたくさんの老化にあらがう方法があって、たくさんの人がそれを求めているのだと知りました。

そして、あれこれ見すぎて疲れた私は、思いました。

年を取らない方がいいって決めたのも、人間だよね。

私は、当たり前のように、少しでも今の状態をキープしたい、年を取りたくない、老けて見えるのは嫌だ、と思っています。
でも、これを決めたのも人間じゃなかろうか、と。
(以下、自論が続きます。)

人間が歩んできた長い歴史。
そこで生まれたものの中には、自分には必要がないのに、あまりにも当たり前になってしまって、疑問に思うことすらなくなっている、世界共通だと思い込んでいる価値観があるのかもしれない。
そして、その一つが、年齢を重ねることなのかもしれない。
私は、若いことを良しとし、年を取ることを悪とする、その価値観を「普通」だと思い込んでいるのではないだろうか。

よく考えれば、生きている限り、全員が年を取るはずなのに、年を取ること、年を取った見た目になることを嘆くのは可笑しいような気もします。
「老い」について考えすぎて、空回りしている感じ。
わざわざ自分の将来を嘆かわしいものにしているなんて、不思議な考え方です。

といってもですね、私自身は、まだ悟りを開けているわけではなくて。
やっぱり、高濃度配合とか、年齢に応じたケアとか、そういう言葉は気になっちゃいます。
お店でテスターをつけて、効きそうだなぁと思うこともあります。
でも、ちょっと背伸びしてでも手に入れたい、みたいな気持ちにはならなくなってきました。
それよりも、野菜を食べるとか、眉間にしわを寄せないとか、日常的に意識すれば何とかなることを頑張ろうという気分です。
まぁ、これもいつまで続くかわかりませんが。

いつか、しみやしわを喜んで愛でるようなおばあちゃんになれたら、それもそれでイカしてるなぁと思います。


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