他人の目で自分を見てみる
「やばい」という言葉はネガティブにもポジティブにも色んな意味がこめられすぎてなんかやばいけど、ふと思った「ダサい」の意味合い。
ダサいの意味のは2つある。
1つ目は、「自分を客観視できてるダサい」。
2つ目は、「自分を客観視できていないダサい」。
(このネーミングがそもそもダサい)
ダサい①
1つ目の「自分を客観視できてるダサい」はプライドが邪魔して行動に踏み込むのを躊躇するようなことです。たとえばこれ。
「インフルエンサーに乗っかるのはダサい」
「フォロワーを増やそうとして」とか、「拡散してもらおうとして」乗っかるのはダサいというTwitterでよく見かけるやつ。べつに乗っかればいいのに。
フォロワーを増やすにしろ、拡散するにしろ、目的が達成できるのならいい。人に迷惑をかけるわけでもない。「乗っかる」というからよりそう見えるんですね。どちらかといえば、うまく活用してると言える。やり方にもよるかもしれないけど。
要はただ人の目を気にして「かっこ悪い」と言っているだけのこと。自分が人からこう思われるだろうなというのが見えてる分いい。突破すればいい。
ダサい②
2つ目の「自分を客観視できていないダサい」は気付かないうちに自分が思ってるよりも印象と信用が落ちてしまっているもの。
こないだ見たこんなツイートで思った。
人を煽ったり罵ったり卑下したり。そもそもそんなことしてたら評価は下がっていく場合が多いけど、その前に当人の思考がどんなものかが見えてしまう。
「でも相手は自分のことなんて知らないじゃん」と思うかもしれないけど、明石ガクトさんのツイート例でわかるように、発信内容によっては動いていないことが容易にわかる。
自分が煽ったり馬鹿にしているつもりがないにしても、こうしたちょっとした表現と場合だけでその人となりのようなものの一部が見えてしまう。
当たり障りのない言い回しをしようということではなく、自分が今言おうとしてることを一瞬だけ「自省」して考えるのって結構大事な力ということ。
他人が見てるかのように、自分のなかで自分をイメージしてみる。
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