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おじいさん、私のあの諭吉どうしたんでせうね?【再掲】

あなたは22歳~27歳の5年間、どう過ごしていましたか?
私は、22歳~25歳まで大学図書館は行くけど教授の所へは行かず、学費を払って籍を置いているだけの超絶親不孝な大学生でした。8年籍を置いた大学をやっと卒業し、働き始めたのが26歳の時。

今でも、母からたまに嫌味を言われます。

「4年で大学を卒業してくれれば、家がもう1軒建ったわ!」

…恥の多い生涯を送ってきました。

 
私の祖父「桃太郎」は22歳~25歳まで海軍に徴兵されフィリピンで戦っていました。
南方で船を失い、いわゆる「陸(おか)海軍」となり、フィリピンのジャングルで銃撃戦の最中、足を打たれ、25歳で終戦を迎えています。
そこからさらに2年、捕虜としてフィリピン・サバン島でまぶしい太陽を浴びて過ごし、なんとか生きて日本に帰ってきた時には27歳でした。
 
大正生まれの桃太郎は、あの時代の人にしては背が高く、骨太で丈夫な体を持っていました。
徴兵検査は当然、最高ランクの「甲種」で大・大・大合格!
当時、徴兵検査に甲種合格することは「日本男児のほまれ」だったのでしょう。
我が家の桃太郎もそれが自慢だったようで、亡くなる1週間前、家で倒れて救急車に乗せられた時のこと。
救急隊員から「おじいさん!90歳近いのに体しっかりしてるな!大丈夫そうだな!」と励まされ、
「ん(そうだ)。俺、大正生まれで兵隊は甲種で合格だ。戦争で『フイリピン』に5年も行ったものなあ。」
乗せられたストレッチャーの上で、のんびりと言い放ち、若い救急隊員達をあ然とさせたそうです。
(祖父はフィリピンと発音できず、いつも『フ・イ・リ・ピン』と言っていた)
 
祖父と同居していた子供の頃、祖父は私の貯金箱によくこっそり小銭を入れてくれていました。
私は、祖父が時々補充してくれているとは知らず、放課後、貯金箱から100円を1枚出して駄菓子屋へ走って行くのが最高の楽しみでした。
そんな祖父は、私が大人になって働き始めても、時々、こっそり私にお小遣いをあげようとする気配がありました。その度に母から「この子は働いてるから小遣いあげないでください!」と叱られ、つまらなそうにする可愛い面を持っていました。
 

ある年の初夏、母から電話がありました。

「桃太郎おじいさんがガンになった。本人には言ってないけど、もう長くない。休みの時はなるべく帰ってきなさい。」

半年に1度しか帰省しない親不孝な私も、次の休日は憂鬱さを列車に乗せて即帰省です。
久しぶりに会った祖父は、話し方や目の力は変わらないものの、明らかに痩せ、浮き出た骨っぽい手足が、先が長くはないことを感じさせる体型になっていました。
正直、かなり動揺したけれど、それよりも、努めていつもと同じように祖父に接するべきだろうなと考えていたら、

「おい!こっち!」

と、台所にいる母に背を向けながら手招きをします。
なに?どうしたの?と近寄ると、すっかり骨っぽくなった手で私の右手をグッと引き、手の中に紙きれを握らせてきます。

「お母さんに内緒だ!わがったな!」

人差し指を口に当ててシーっのポーズをしています。
そっと自分の右手を緩めると、四つ折りの1万円札が見えます。
ギクリとしました。
「小遣いなんかいらないよ!元気で長生きしてよ!」
反射的に叫んでしまいそうになるのをこらえます。
私は、祖父が自分の病状をどこまで理解しているのか知らされていません。色々な感情が湧き、泣きそうになるのをグッとこらえ、

「うん、うん分かった。内緒ね。ありがとありがと。大事に使うね。」

祖父の手を握りながら、母にバレないよう小さい声で感謝を伝えるのが精一杯。
祖父も「ん。んだ。(そう。そうだ。)」と満足そうに笑っていたので、私も相手に合わせて芝居ができる大人になったということでヨシとして下さい。
 
祖父はそれから1か月程で亡くなりました。
家で倒れ、「大正生まれで戦争でフイリピンから生きて帰った」と自慢しながらストレッチャーに乗せられ、若い救急隊員を呆れさせながら搬入された病院でも、相変わらず意志が強く、弱々しさのかけらもない雰囲気でした。
管がついているのに夜中に自力でお手洗いに行こうとして看護師さんを慌てさせ、病院食の薄味っぷりが気に入らず「病院のまんま、味ねな~!内緒で塩、持ってけな(病院のご飯は味が無いから内緒で塩持ってこい)」と私に命じるなど、最後まで意識がはっきりし、シャキッとたくましい祖父でした。

ガンだったけれど、あまり苦しい様子もなく、たった1週間の入院であっさり亡くなりました。「ぴんぴんコロリ」を絵に描いたような、ちょっとうらやましい死に際でした。
やはり、戦争と捕虜で5年もの長い時間を南方で過ごし、生き延びて帰った人は生命力が違うんだなーと素直に尊敬の念がわきます。
 
桃太郎さん自慢の甲種合格の骨太な体は、健診で平均値以上の骨密度&骨量をたたき出し、毎回医師に絶賛される私の骨太な体に確実に引き継がれています。

そういえば、あの時こっそりくれた1万円、今も使えずに四つ折りのまま持っています。
どこにしまったか分からなくなったけど。でも使ってないからどこかにあるよ。絶対。

おじいさん、私のあの諭吉、どうしたんでせうね?

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