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【映画批評】#7「あんのこと」肌感で受け取り方が変わる

入江悠監督最新作「あんのこと」を徹底批評!
負のトリクルダウンは善良な小さき者に集中する。河相優実演じる、あんを通じて体感する。


鑑賞メモ

タイトル
 あんのこと(114分)

鑑賞日
 6月8日(土)10:55
映画館
 なんばパークスシネマ(なんば)
鑑賞料金
 1,000円(パークスシネマ会員誕生日月クーポン)
事前準備
 特になし、予告も観ず
体調
 整体後、すこぶる良し


点数(100点満点)& X短評

80点

監督の意図したことはわかるし、素晴らしい演出と創作意欲だと思う。
ただ観た人の肌感で受け取り方は大きく変わる。自分はそんな簡単に受け止めきれないという気持ちが強い。


あらすじ

21歳の主人公・杏は、幼い頃から母親に暴力を振るわれ、十代半ばから売春を強いられて、過酷な人生を送ってきた。ある日、覚醒剤使用容疑で取り調べを受けた彼女は、多々羅という変わった刑事と出会う。
大人を信用したことのない杏だが、なんの見返りも求めず就職を支援し、ありのままを受け入れてくれる多々羅に、次第に心を開いていく。
週刊誌記者の桐野は、「多々羅が薬物更生者の自助グループを私物化し、参加者の女性に関係を強いている」というリークを得て、慎重に取材を進めていた。ちょうどその頃、新型コロナウイルスが出現。杏がやっと手にした居場所や人とのつながりは、あっという間に失われてしまう。行く手を閉ざされ、孤立して苦しむ杏。そんなある朝、身を寄せていたシェルターの隣人から思いがけない頼みごとをされる──。

「あんのこと」公式HPより引用

ネタバレあり感想&考察

諦めや無力感が先行
泣くことすらままならなかった

かなり書き出しに困っている。
あんが生まれ育ったような機能不全家族に対して、してあげられることは本当に少ないと実感しているからである。

本作で描かれるような、親が子の教育機会を奪い、ましてや売春を強要する家庭、ここまでの事例は耳目にしたことはないが、機能不全と呼んでいい家族が割と近くにいる地域環境で育った。いわゆるネグレクトや、親が境界知能だったりとパッと思いつくだけで同級生で3組はいる。学年が違えばさらにいる。正直、比較的穏やかな地域で育っている人たちと比べると、感覚がマヒしているような部分もあるのかもしれない。幼稚園、小学校から私立に通わせている家庭などは想像もつかないであろう世界だと思う。大阪市内でも特に古い団地が林立している地域といえばわかりやすいか。

ハッキリ言って分断はある。というより分断するのはしょうがないと思う。何か手の施しようがあるとすればまず親(大人)からなんだけど、その親がコミュニケーションはじめ何から何まで手に負えない状況だから、ご近所さんや子供の友達の親レベルの関係性ではどうにもならない。むしろ悪化してトラブルに巻き込まれる可能性の方が高い。役所の福祉関連の担当者やボランティアの人にいち早く伝えて、何とかしてもらうしかない。基本的に関わらない方がいい。あんのような子は本当に気の毒だが、今回のケースは当人が薬物中毒者になってしまっているので、素人は手の施しようがない。素人が積極的に関わっても、事態が好転するイメージは全く湧かない。これが現実だ。

自分はその諦観や無力感を久しぶりに思い起こさせられたような感覚だった。
できることがあるとすれば、そのような状況にいる人たちを必要以上にかわいそうだと思うような目でみないこと。劇場では泣いていた方も多かったが、自分は泣くことすらままならなかった。あんの置かれた状況があまりにも悲惨で、見知らぬ個人にできることはものすごく限定的だと悟ってしまったから。

安全圏から「手を差し伸べよう」みたいなことも言いたくない

この映画を観て、こういった感想を安易に言ってしまうのは危険だと思う。入江監督もおそらくそうなんじゃないか。

佐藤二朗演じる多々羅は最終的には悪質な側面をみせたが、薬物中毒者の更生を支援するという意味では本気であったし、あんを自立させるという正しい目的に向けて行動を起こしている。
そこの覚悟は本物だった。(別の動機は一旦置く)
あんを雇い入れた介護施設のオーナーも同じくだ。

あれぐらいの覚悟がある人だけ「手を差し伸べよう」という発想になれると考えている。あんのような存在を知ったときに、更生支援につながる人たちやそのような活動団体がないかと調べたり、伝えてあげられるかが普通の人ができるせめてもの行動かなと。

ただ、あんのような機能不全家族はなかなか顕在化しにくく、キャッチアップが難しい。本作を観た人はまずこういった問題を抱えた存在が近くにいるかもしれないと思いを巡らせることができるようになった。それは小さくも大きな一歩として、その感覚を大事にしていくことが求められる。

せっかく芽吹いた利他の心すら阻害する最悪な人々があんの希望を奪う描写が心苦しい

しかしまあ、河井青葉演じるあんの母親は最悪であった。(河井青葉好きだからなおさらイヤだったw)
娘をママと呼ぶあたりに、ものすごい悪性の共依存体質を端的に浮き彫りにするのは脚本・設定の妙だと思う。毒親なんて表現がちゃちく感じるほどの最悪の親だった。
程度の差こそあれ、子どもを自分の所有物のように扱う親はどうしようもない。そんな親に従順な子どもは本当に自立できない。教育虐待を受けた子どもによくいるイメージだ。

あんはそんな環境下でも心優しく、真面目に介護の仕事に取り組んでいた。
なんせ動機が、介護ができたら祖母の面倒もこの先自分がみれるようになるからという理由、きわめて善良な人間である。
介護の仕事を通じて、利他の心を育む道程、夜間学校に通い、読み書きなど少しずつできることが増えていく実感と薬を使わなかった日々を積み重ね、自立していくさまは観ていて本当に心地よい。
信頼していた多々羅を失い、突然早見あかりから息子の世話を半ば強引に押し付けられる。介護の仕事がコロナ禍によりできない環境だったため、期せずして利他の心を発揮できる機会と捉え、自発的にハヤトの世話を使命とも思えるような態度で取り組み、前を向く希望を得た矢先に人の手でそれらを奪われてしまう。

あん母:児相に預け、あんからハヤトを奪う
    あんに執着し、自立の機会と生きる希望を奪う
桐 野:多々羅を告発し、あんから信頼する大人を奪う
多々羅:自らの過ちであんから生きる指針を奪う

コロナが追い打ちをかけたのではなく、明らかに人災だというところにこの映画の怒りが表れている。主に母親が諸悪の根源だけど、突然の子育てがコロナ環境下での利他の心を埋めていたのだから、この喪失感から自死へ向けての描写と河合優実の演技は凄まじいものがあった。ハッキリ言ってあまり思い出したくない。

ラスト早見あかりのあんについての良い話風な締めくくりは、監督があえて差し込んだと思われる。ある意味、あんを追い詰めた元凶でもある当人が感動を消費するかのような振舞いを自然としているあたりにむずがゆさが残る。

安易な感動をこの映画は拒んでいると思う。


まとめ

河合優実さん、すごい役者さんが出てきたなって素直に思います。
今回は金八出てた時の上戸彩みたいな雰囲気をまとってました。
「不適切にも~」にも出ていたみたいですね。不勉強で本作で初めてまともに観ましたが、要チェックの役者さんだと思います。吾郎ちゃんもらしさが溢れていてサイコーでした。ある意味世間知らずな佇まいが本人のキャラと被っていて、ハマり役だったと思います。

2日目の朝に観に行きましたが、ほぼ満席といった状況でした。
公開初週なんで、ぜひ観て体感してほしい映画です。


最後に

土曜日に整体→映画観に行くのがなんか恒例になってるからできる限り、続けてみようかなと。

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ご拝読、ありがとうございました。


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