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編集後記『わたしたちの暮らしにある人生会議』

医学領域専門書出版社の金芳堂です。

このマガジンでは、新刊・好評書を中心に、弊社編集担当が本の概要と見どころ、裏話をご紹介し、その本のサンプルとして立ち読みいただけるようにアップしていきたいと考えております。

どの本も、著者と編集担当がタッグを組んで作り上げた、渾身の一冊です。この「編集後記」を読んで、少しでも身近に感じていただき、末永くご愛用いただければ嬉しいです。

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■書誌情報

編著:西智弘(川崎市立井田病院 腫瘍内科/緩和ケア内科 医長)
A5判・200頁 | 定価:2,970円(本体2,700円+税)
ISBN:978-4-7653-1890-7
取次店搬入日:2021年12月15日(水)

近年話題となった人生会議(アドバンス・ケア・プランニング:ACP)という対話のプロセスを様々な立場や事例を通じて紹介。医療者だけではなく、介護提供者や家族の方々にも役立つ書籍です。

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■編集後記

こんにちは。編集部のNです。

今日は、2021年12月中旬発売の『わたしたちの暮らしにある人生会議』をご紹介します。

皆さん、表紙はご覧になられましたでしょうか? もしかすると「あれ? どこかで見たような……」と思った方もいらっしゃるかもしれません。

そう、これは、約1年前に、この本と同じタイトルのコンテストをnote上で行った際に使っていたアイキャッチ画像です。

※コンテストの概要は、こちら

実は、この写真、編著者の西 智弘 先生 撮り下ろしの写真なんですよ。素敵な写真なので、表紙にも使わせていただきました。

なお、第2章に、このコンテストで受賞された投稿文と、企画に賛同いただきました浅生鴨氏、幡野広志氏の投稿文が載っています。この章では、いろいろな人生会議の形を教えてくれますよ。

また、第3章に、人生会議を行うためのツールやイベントを紹介しました。サンプルページを1つ載せておきます。ぜひ、読んでみてください。

この本が、あなたやあなたの大切な人と人生会議を行う、きっかけとなりますように。

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■序文

はじめに

医療者は、現場において意識不明で搬送されてきた方に出会った時、その人がどのようなことを大事にしていて、また何を望んでいたのかを知るすべがありません。では家族に聞けばわかるのでしょうか。ところが家族もまた、「こういう状況になった時に本人がどうしてほしいか」について話し合ったことはない、という場合がほとんどです。結局、誰も本人の気持ちを確認することも推し量ることもできず、医師が考える最善の治療や、家族が望む治療が行われてしまうことが多いのです。

それに対し、本人と家族が医療者や介護提供者などと一緒に、

①病気や老化などで体力・気力が低下する場合に備えて、終末期を含めた今後の医療や介護について話し合うこと
②そして自ら意思決定が出来なくなったときに備えて、本人に代わって意思決定をする人を決めておく
③これら話し合いのプロセスを通じて、本人の人生観・価値観などを周囲の人間とシェアしていく

そういった対話のプロセスが大切ではないか、と言われてきています。プロセスなので何度でも話し合っていい、いくらでも内容を変更してもいい、といったニュアンスが含まれています。

その対話のプロセスは「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」と呼ばれ、日本では「人生会議」という愛称もつけられました。

しかし日本においてはなまじ「会議」なんて名前が付けられてしまったからか、「死についての話をする仰々しい時間」や「ビジネス会議のように司会がいて、何らかの結論を導き出す会合」のように受け止められています。無機質な会議室で医者と向き合って「最後は自宅で過ごしたい? Yes or No?」といった、質問項目にひとつひとつチェックしていくようなものと誤解されていたり。そして、「そもそも、そんな言葉知らない」という人がほとんどなのです。

でも、人の価値観は、会議室でチェックリストを埋めていけばわかるものなのでしょうか? むしろ、本人の価値観や希望を知る手掛かりは日常会話の中にこそあるのではないかと私たちは考えます。

「来年の今頃は…」
「私がそのうち齢をとったらさあ…」
「もし私が、うちの親のような病気になったら…」

などの、日常のやり取りの中に埋もれてしまいそうな、はかない言葉を拾い上げて、本人の価値観を紡いでいくことこそが大切なんじゃないかなと思うのです。

そのようにして集めていった言葉たちが、いざというときに「あの時さ、おじいちゃんこんなこと話していたよね」「あの人だったら、こんな時きっとこう言ったと思うよ」という形で、本人の意思と尊厳を守ることにつながるのではないでしょうか。

そして私たちは、そんな日常の言葉たちを集めて記憶しておくツールとして「ものがたり」を紡いでいくのがいいのではないのかなと考えています。

日常そのものが人生会議。

じゃあ、その会話の糸口になる言葉はどこにあるんだろう。その扉を開けた先にどんなストーリーが広がっているんだろう。その「ものがたり」を紡ぎ、集めていったとして、人の言葉や時間をどうやって周囲の人たちとシェアしていけば、終末期において本人が望む生き方ができるんだろう、ということへのヒントがほしい。

そこで本書では、普通の「教科書」という枠をこえて、たくさんの方々の「ものがたり」を重ねてみることにしました。第1部ではACPが生み出された背景や歴史、緩和ケアなどの分野でACPをどのように活用していくか、といった話から始まり、診療所や介護施設、そして看護師たちがそれぞれの場でどんなものがたりを経験してきたかを語ってもらいます。そして第2部では2020年末にnoteというブログサービスで公募した「自分が経験した人生会議のものがたり」についての文章を掲載しています。こちらは、「わたしたちの人生会議」というテーマで非医療者も含めた約100名の方からご応募いただき、その中から12作品を特賞・優秀賞・佳作として選ばせていただきました。どの文章も、作者の大切な方たちのとのものがたりが綴られた、魂のこもった内容で、目頭が熱くなります。そして第3部では、病院ではなく生活の場に近いところで人生会議を促すためのちょっとしたツールをいくつかご紹介しています。楽しみながらも大切な話ができる手段となっていますので、ぜひ参考にしてみてください。

本書が、「暮らしの中にある人生会議」をしていくにあたって、少しでもお力になれればうれしく存じます。

2021年11月
著者を代表して
西智弘

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■目次

はじめに

第1部 総論

1 ACPってなんだろう?
2 人生会議、しよう ~ACPと人生会議、日本での広がり~
3 ACPを行うとどんないいことがあるか
4 緩和ケアにおけるACP
5 わたしたちのACP:ものがたり診療所の場合
6 わたしたちのACP:銀木犀の場合
7 看護師が行っている日常のACP
8 コミュニティナースとACP

第2部 私たちのACP

特賞
別れるとき、さくらは流れた

優秀賞
山を越えて父は
町内三大迷惑老人は隙あらば電話を切る
食べれなかった餃子の味。

佳作
桜が目に沁みる
旅立つ日 #わたしたちの人生会議
ちなみに私は2度、死にかけたことがある。
卵かけうどんの葬儀
父と向き合った時間
父の生き方
限りあるから大切なんだろ
あと少しの、母と語り合う時間について

応援エッセイ
いつかのさようならに
笑顔でバイバイをする。

第3部 ACP に役立つツールやイベント

1 生と老と病と死ワークショップ
2 最後の晩餐練習帖
3 もしバナゲーム
4 無礼講スター

索引

Column
ネガティブ・ケイパビリティ
社会的処方とCompassionate communities

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■サンプルページ

最後の晩餐練習帖とは

「最後の晩餐練習帖」をご存知でしょうか。名前だけは聞いたことがありますか。それとも初耳ですか。

最後の晩餐練習帖は、まず、「もし、明日が最後の晩餐だとしたら、あなたは何を食べたいですか?」という質問から、人生の終末期の生活を思い描きます。そして、その「最後の晩餐」を望み通りにするためには、どうすればいいか? を考えるためのツール(練習帖)のことです(図11)。

この練習帖は、「食べる料理」という項目からはじまり、「開催する場所」「呼ぶ人」「こだわりポイント」「理想の最後の晩餐シーンを描いてみる」の項目があり、そして、その「理想の最後の晩餐シーンを描いてみる」という項目の下に、実際に絵を描くためのスペースが設けられています。この項目を一つ一つ埋めていけば、人生の終末期に、どのように生活して、どんな人と出会って、どういう最期を迎えたいのか……、一つ一つ考えていくヒントになります。これは、エンディングノートと似たような内容を含んでいるかもしれません。しかし、「エンディングノートを書きましょう」と言われたら、多くの人は抵抗を感じるかもしれません。しかし、「もし選べるとしたら、人生の最後に食べたいものってある?」という質問ならば、それほど抵抗なく答えられるのではないでしょうか。そして、「どうして、その〇〇が食べたいと思ったの?」「それは誰と、どんな場所で食べたいと思ったの?」と、話題を広げていくことで、自分や家族、友人などが大切にしている価値観に迫れるかもしれません。

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最後の晩餐練習帖ができあがるまで

この「最後の晩餐練習帖」は、2018年8月から開催された、コミュニティデザインを手掛けるstudio-L中心の「これからの介護・福祉の仕事を考えるデザインスクール」で生まれました。介護・福祉の現場、その未来に、より多くの人に参加してもらいたいという思いからスタートしたこのデザインスクールには、介護福祉士や看護師など医療福祉系の方だけではなく、大学生や農家、エンジニアやデザイナーなど多様な方々が参加しました。厚生労働省の補助事業でもあったため、北海道から九州まで、全国8ブロックで7か月かけて開催されました。

このデザインスクールは、参加者が自ら目標を設定し、デザイン思考に基づいて、現地調査やアイデアの創出を行っていきました。そのとき、「未来にあってほしい介護・福祉のサービス」をテーマに、心を揺さぶられる大胆なアイデアが67個も生まれました。そのうちの一つが、この「最後の晩餐練習帖」です。最終的に、ここで生まれたアイデアは、2019年3月に東京の千代田で開催された『おいおい老い展』で公開されました。

今回、この「最後の晩餐練習帖」を作成したメンバーのうち、泉山有
希子さんと濱田郷子さんにお話を伺いました。

西:「最後の晩餐練習帖」を思いついた経緯を教えてください。

泉山・濱田:最初は食を通じて何かアイデアを考えたい、というところから始まりました。いろいろと紆余曲折があったのですが、メンバーが実際に介護の現場にいない者が多かったので、介護施設内で何かをするというより、身近な人と使える食のツールを考えていこうとアイデアを出していきました。その中で『食のエンディングノート』という話題が出て、studio-Lの山崎亮さんの『最後の晩餐を話し合う練習帖みたいなものね』というアドバイスも踏まえ、企画しました。

西:この「最後の晩餐練習帖」は、エンディングノートと似たような役割がありそうですか?

泉山・濱田:違いはあると思います。でも、エンディングノートだと、書くのはハードルが高いと思うし、高齢の方が対象となると思います。それに対して「最後の晩餐練習帖」なら「食」ということをテーマに、若い人も含めて様々な世代の人がゲーム感覚で気軽に話したりできることが良い点ではないかと思います。

制作過程で、泉山さん、濱田さんたちは、実際にエンディングノートも何冊か購入して見たようですが、デザイン面も含めハードルの高さを感じたと言います。それを踏まえて作られた「最後の晩餐練習帖」は、見た目もすっきりし、あまり「死」を意識させられることなく、個々人の最後の時間の過ごし方を語れるという点で優れていると感じます。それは、エンディングノートのように「死」そのものに視点を向けるのではなく、死に向かっていくプロセスとしての「生」にフォーカスを絞っているからではないでしょうか。

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最後の晩餐練習帖の内容

最後の晩餐練習帖は、「食べ物自分史」という、過去や未来の自分と
「食」を通じて向き合うためのページもあります(図12)。

この食べ物自分史では、その食べ物と、10代の思い出などの過去や未来について、書き出します。

未来については、想像の手助けとして、最後の晩餐練習帖についている「もしもカード」を使います。もしもカードには、例えば「もしも歯がなかったら」「もしも5つの味覚が3つだったら(甘味、塩味、酸味、うま味、苦みのうち、どの3つを選びますか)」といったことが記載されています。ゲーム感覚で取り組むことができます。

また、練習ノートには、一人で行う方法や家族で行う方法などが載っており、定期的に繰り返してやってほしいという作者の思いが込められています(正月に家族で集まったときとか、自身の誕生日とか)(図13)。そのときのライフステージや気分などによって、最後に食べたいものがどんどん変わっていくことも経験できます。

なお、この「最後の晩餐練習帖」は、Webから気軽にダウンロードできるようになっています。

実際に、筆者たちもこの「最後の晩餐練習帖」をダウンロードして、ワークショップを開催してみたことがあります。参加者は医療者が中心でしたが、皆それぞれ様々な価値観から「最後の晩餐」を捉えていることが可視化されて楽しい体験でした。

例えば、ある参加者は「ステーキ」を最後の晩餐として挙げ、その理由を尋ねたところ「やっぱり最後にはとびきり豪華なものを食べたいでしょ」と言っていました。また別の方は、「母親が作ってくれたサラダ」を挙げて「自分と、自分が大切にしてきた人との思い出を、最後に味わいたい」と語ってくれました。一方、具体的な食べ物ではなく「家族全員と山でピクニックをする最後の晩餐」という例を挙げてくれた方もいて、「病院の中のような環境ではなく、太陽と風を感じながら大切な人と一緒に最後の時間を過ごしたい」とその理由を述べてくれました。

これらの意見を聞くだけでも、「大切にしたい価値観」とは人それぞれであり、しかも「食」がテーマになるとそれが浮き彫りになりやすいということが垣間見えるでしょう。ちなみに、筆者は料理ではなく食材としての「キュウリ」を挙げました。自分が子供のころ、一番嫌いな食べ物がキュウリだったのですが、それについて親が強要するでも否定するでもなく、「あなたが嫌いなものは嫌い」として見守ってくれ、そして少しずつ工夫を加えて食卓にキュウリを載せ続けてくれました。少しずつ口に入れていくことで、今はむしろキュウリは好きな食材の一つになりました。この経験から、私にとってのキュウリは、「子どもを一人の人間として認めてくれた」「親世代から子世代への伝承の形」としての象徴であり、だからこそ自分の幼少時代から死の間際までを振り返る「最後の晩餐」としてふさわしいのではないかと考えたのです。

今、世の中には、人生の終末期を考えたり話し合うための様々なツールがあります。その中で「最後の晩餐練習帖」は必要以上に重苦しいトーンになることもなく、それでいて終末期に向けて話し合うべきことの本質を捉えているツールであり、日常的に繰り返し使ってみるうえで意義が大きいものです。ぜひ、下記より練習帖をダウンロードして全体を眺めてみましょう。そこには、日常の中で大切な人と「人生における価値観」を話し合うための工夫にあふれています。今後、様々な場面でこの「最後の晩餐練習帖」が活用されることを願っています。

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「最後の晩餐練習帖」冊子の作り方

①データをダウンロードする。
②A4サイズの紙に、両面・長辺綴じで印刷する。
③線を目安に(線より左側に)ホッチキスで止める。
④ホッチキスの部分にマスキングテープを貼る。

完成!早速やってみよう!

データは下記よりダウンロードしてお使いください。

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■終わりに

今回の「編集後記」、いかがでしたでしょうか。このマガジンでは、金芳堂から発売されている新刊・好評書を中心に、弊社編集担当が本の概要と見どころ、裏話をご紹介していきます。

是非ともマガジンをフォローいただき、少しでも医学書を身近に感じていただければ嬉しいです。

それでは、次回の更新をお楽しみに!

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